あがたいじんじゃ
縣居神社静岡県 新浜松駅
参拝/24時間
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 鳥居左側 |
浜松神社巡り⑦急な灯篭坂を登り切った先に鎮座しています。境内には賀茂真淵記念館もありますが、今回はパス。御祭神は賀茂真淵翁、江戸期の国学者です。社名の縣居は江戸日本橋浜町の馬淵の居宅を自ら「縣居」(田舎住まいの意)と呼び、そのことから縣居が賀茂真淵本人を指すようになった。神社自体はさほどの規模ではないが、何故か通常の神社とは異なる空気感が在ります。社務所を訪れ御朱印を戴く間、何気なく周りを見ていると、女優の熊谷真美の名があちこちと。そういえば最近田舎に移住したとの話をテレビで見たばかりでしたが、浜松でした。しかも神社の役員にも名を連ねていました。移住者がそのような役職に就くのは珍しいかと思います。
社号標
昭和ニ年(1927)奉納の灯籠
一の鳥居
参道
手水舎
手水盤
ニの鳥居
賀茂真淵記念館
昭和ニ年(1927)奉納の灯籠
拝殿
「縣居翁霊社」碑(天保発巳年(1833))源朝臣忠邦(水野忠邦)書
扁額
本殿
歌碑「大御田のみなわも ひちもかきたれて とるや早苗は わか君のため」賀茂真淵詠 尾上八郎書(昭和十八年(1943))建立
「清明直正」碑(平成六年)建立
賀茂真淵歌碑「もろこしの人にみせばやみよしのの よし野の山の花のさかりを」平成九年建立
「沈黙は金なり 金木犀の金」有馬朗人(元東大総長、俳人、政治家)
「敬神は修養の基」昭和五年(1930)建立
名称 | 縣居神社 |
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読み方 | あがたいじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 053-453-3401 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》賀茂真渕大人命 |
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創建時代 | 1839年(天保10年) |
ご由緒 | 当神社の創立は天保10年、御祭神の崇拝者である浜松藩領主水野忠邦公を始め、高林方朗その他の人々が東西に奔走して、現在の東伊場町賀茂神社の境内に勧請し奉ってからであります。大正13年10月28日工事完成して賀茂神社境内に「縣居神社遺趾」の碑を残して、現在地に遷座。しかし残念ながら、御社殿は戦災により焼失。全県下の神社の協賛をえて昭和59年4月15日、現在の御社殿に遷座されたのであります。尚、御祭神の本家筋にあたる岡部譲氏が、大人の学徳を稱え、所蔵の図書を寄贈され、その後を受けて、現在「縣居文庫」として文庫の拡充を図っております。 |
体験 | 祈祷御朱印 |
概要 | 縣居神社(あがたいじんじゃ)は、静岡県浜松市中央区の神社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 1839年(天保10年)に創建された。国学者高林方朗や当時の浜松藩藩主水野忠邦の尽力により東伊場賀茂神社の境内摂社「縣居翁霊社」として建てられた[1][2]。 1884年(明治17年)に「縣居神社」に改称、1920年(大正9年)に現在地に移転した[1][2]。 1945年(昭和20年)の空襲で社殿は焼失、1984年(昭和59年)に再建された[1]。 ^ a b c 縣居神社賀茂真淵翁遺徳顕彰会 ^ a b 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩(歴史散歩22)』山川出版社、2006年、276-277p |
アクセス | 交通アクセス[編集] 浜松駅より徒歩25分。 |
引用元情報 | 「縣居神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B8%A3%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98807465 |
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