いいのやぐう
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井伊谷宮ではいただけません
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井伊谷宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月07日(月)
参拝:2022年2月吉日
【遠江國 式内社巡り】
井伊谷宮(いいのやぐう)は、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。建武中興十五社の一社。祭神は宗良親王。
創建は明治時代初期の1872年。明治維新以降、建武中興に功績のあった南朝方の人物を祀る神社が数多く創設されたが、当社はそのうちの一つ。祭神の宗良親王は建武の新興に際し、南朝方の皇族として関東各地を転戦し、1385年に当地・井伊谷で薨去し、当地に墓所が建てられた。親王が当地滞在中に領主の井伊道政と井伊高顕に助けられたとの伝承から、明治初期、彦根藩知事であった井伊家末裔の井伊直憲が井伊谷に宗良親王を祀る神社創建を出願し、明治天皇から勅許が下りた。1873年に白峯宮(京都府京都市上京区)、鎌倉宮(神奈川県鎌倉市)とともに官幣中社に列せられた。なお、神仏分離令により廃寺となった龍潭寺塔頭跡を社地とし、その一部を宗良親王の陵墓と定めた。
当社は、天竜浜名湖鉄道・金指駅の北西1.5km、道のり2.5kmの緩やかな丘陵地帯にある。大通り(県道320号線)に面した境内東端入口から緩やかに登る参道を進み、神門をくぐると大きな社殿に突き当たる。社殿周りの境内はさほど広くはなく、社務所等の大きな建物に囲われている。綺麗に掃き清められた境内の、厳かな雰囲気が心地良い。本殿の裏手は宗良親王の陵墓となっている。
今回は、旧官幣中社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中早めの時間で、自分以外にもちらほらと参拝者が訪れていた。
境内東端入口全景。大木が茂り、大社の構え。
参道入口左手にある<社号標>。
参道を少し進んだところにある<一の鳥居>。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
まっすぐの参道。時間はまだ8時台で、神職の方々が掃除中...(^_^;)
参道左側の<手水舎>。
階段を少し上がって<二の鳥居>。
二の鳥居に続いて<神門>。
<拝殿>全景。向拝部分が大きい。
<拝殿>全景。扁額は見当たらない。
宮内庁勤め侍医で近代俳句の提唱者であった水原秋櫻子が、1973年に当社参拝の折に詠んだ句を記した石碑。
拝殿後ろの<本殿>。シンプルな神明造。
社殿の左隣にある、摂社<井伊社>。
<井伊社>の拝殿。当社の祭神は井伊道政公とその子高顕公。宗良親王を当地に迎え、終始輔佐し忠勤を励んだ。
<井伊社>全景。
社務所前から、本社<社殿>全景。
境内北側を見渡す。すごい巨木が真ん中に立っている。
巨木の西側にある<祈祷控殿>。当日は、ひな人形展示中。
巨木の北側にある<史料館>。当日は、ひな祭りの解説展示中。
巨木の東側にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所から見た<拝殿>。
境内南側の社務所前は、ちょっとした庭園のようになっている。
こちらは<銘石・慈母観音石>。慈母の胸に抱かれた赤子の姿が見えることから名付けられたとのこと。
石碑は1985年の「皇太子殿下妃殿下文仁親王殿下清子内親王殿下御参拝」記念とある。
うしろの梅が少しほころんでいて、境内には甘い香りがほんのり漂っている。
うしろの梅が少しほころんでいて、境内には甘い香りがほんのり漂っている。
上の参拝記念碑から100mほど西に進んだところにある<宗良親王墓>。現在も宮内庁が管理している。
最後に、神門からの社殿を望む。さすが旧官幣中社、風格が違う。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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