りょうたんじ|臨済宗妙心寺派
龍潭寺のお参りの記録一覧
やっと夏の繁忙期が終わり静岡へとお出かけしました。静岡県と言えば絶対的に徳川家康!ですが、こちらの龍潭寺はお家断絶の危機に合った井伊家を当主として支えた井伊直虎ゆかりのお寺で、徳川四天王の井伊直政、徳川幕府の大老となった井伊直弼もまつられている井伊家の菩提寺です。
💜大河ドラマ聖地巡礼
万松山 龍潭寺
行基菩薩による開創から1290年を数える遠州地方屈指の名刹にして、遠江国の武家の名門 井伊家の歴代の菩提寺として、大河ドラマ「おんな城主 直虎」放送の折りにも、大変賑わいをみせました。
桶狭間の戦いの後の頃から幾度となく訪れた御家の危機を乗り越え、二十代当主直政公は徳川家康公家臣として数々の武功を挙げ、徳川四天王と称されるまでになり井伊家を再興させました。
大河ドラマ本編後の紀行潤礼では、直政(万千代)役の板垣李光人さんが実際に龍潭寺に足を運び、御神木の椰の木などが紹介されていました。
この椰の木は、生命の危機にあった幼少の直政公(虎松)母子が龍潭寺に身を寄せていた際に、母君が境内に御地蔵様を祀り、その傍らに椰の木を植え、我が子の安泰を念じたとされるものです。
井伊家の菩提寺。井伊谷宮から井伊家墓所前を通り、庫裏で拝観料を納めて鶯張りの廊下へ。下調べが不十分だったこともあり、山門の外にあった井伊氏元祖共保出生の井戸を見ないまま帰ってきてしまいました。井伊氏は、保元の乱では源義朝、鎌倉時代は頼朝、南北朝時代は後醍醐天皇第4子宗良親王、室町時代は今川氏に仕えたということで、もう一度鎌倉殿の13人とどうする家康で勉強します。龍潭寺の寺号は、桶狭間の戦いで戦死した井伊家22代直盛の戒名からとったそう。直盛の一人娘が直虎。24代直政は徳川四天王、36代直弼は開国。
井伊家墓所 左が直盛、右が共保
仁王門
本堂
本堂
襖絵虎
襖絵龍
龍潭寺庭園
釈迦牟尼佛 廃仏毀釈当時に傷つけられた跡だらけ。痛々しい。
ほほえみ観音菩薩
733年僧・行基によって開かれたと伝わる。
井伊氏は平安時代から井伊谷を中心に遠州地方を治めてきた国人領主であった。
龍潭寺は井伊家歴代の御霊を祀る菩提寺であり、南北朝時代に井伊城で北朝と戦った後醍醐天皇の皇子・宗良親王も祀っている。
寺の裏手には井伊家の墓所があり、井伊直虎の墓もある。
堂内に残された釈迦牟尼佛は1729年の制作。体には黒い落書きの跡が残っている。明治の廃仏毀釈の際近所の子供達が大仏に登り金箔を擦った跡だという。
本堂
本堂
開山堂
井伊家御霊屋
萬松稲荷
仁王門
仁王門
旧鐘楼
鐘楼
井伊家の墓
右から2つ目が井伊直虎(次郎法師)、右から3つめが井伊直親、右から5つめが井伊直政の墓
【静岡県 人気寺社仏閣巡り】
龍潭寺(りょうたんじ)は、静岡県浜松市北区引佐町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は万松山。本尊は虚空蔵菩薩。庭園は国の名勝。
寺伝によると、奈良時代の733年に行基による開創とされる。当初の寺号は「地蔵寺」であったが、平安時代後期の1093年に当地領主の井伊共保が葬られた際にその法号から「自浄寺」と改められた。平安時代以降、井伊氏の菩提寺であったとされ、元中年間(1384年~1392年)、後醍醐天皇皇子である宗良親王が当寺を中興したとされる。戦国時代の1507年に井伊直平が黙宗瑞淵を招き寺号を「龍泰寺」と改めたが、1560年に井伊直盛が戦死し当寺に葬られるとその法号から「龍潭寺」と改められた。なお、井伊直盛の娘で、直盛の死後井伊家を取り仕切った井伊直虎の墓も当寺に葬られている。井伊家伝記によると、小牧長久手の戦いにおいて井伊直政が先手大将として出陣する際に、当寺に伝わる「日月松有之金銀の扇子」を陣扇として授けたとされる。なお、関ヶ原の戦いの戦勝に伴い、井伊氏が近江国に転封となってからも井伊氏の外護を受け、江戸幕府からも朱印地を与えられた。
当寺は、天竜浜名湖鉄道・金指駅の北西1.5km、道のり2.5kmの緩やかな丘陵地帯にある。旧国幣中社の井伊谷宮の南側にある。大通り(県道320号線)に面した境内南端入口から小高い場所にある境内に向かうと、木々が生い茂る中に<山門>があり、中に入ると境内は野趣あふれる庭園になっている。大きな本堂の北側には、国の名勝にも指定されている庭園があり、有料拝観エリアとなっている。
建物内の拝観エリアも見応え十分で、NHK大河ドラマにもなった井伊直虎ゆかりの品々も展示されている。
今回は、観光情報サイトじゃらんで、静岡県の人気寺院に上がっていたため参拝することに。参拝時は平日の午前中で、個人客はおそらく自分のみで、ご老人の団体バスツアー客が数十人参拝に訪れているのを見掛けた。
※じゃらんでの静岡県人気寺院トップ5は次の通り(2022年2月時点)。
①尊永寺(袋井市)、②修善寺(伊豆市)、③瑞龍寺(静岡市)、④龍潭寺(浜松市)、⑤大円寺(磐田市)
境内入口の<山門>。
山門をくぐって、狭い小道を進むと<仁王門>。
仁王門に向かって右方向に立っている<梛(なぎ)の木>。井伊家24代井伊直政が幼少のころ、井伊家の安泰を念じて植えられた御神木とのこと。樹齢400年。
梛の木のそばにある<子育て地蔵 -虎松の無事成長祈願仏->。戦国時代末期に徳川軍団の筆頭になり、彦根十八万石城主に出世した井伊直政(幼名・虎松)の成長祈願仏。幼少期2歳の時に父・直親を殺されるなど、当時は井伊家は存亡の危機にあった。
もう一度<仁王門>に戻って順路を進む。
仁王門をくぐったところ。正面に本堂が見える。庭には草木が多く、きれいに手入れされている。
<本堂>全景。かなり大きい。
本堂に向かって左手にある<旧本堂の鬼瓦>。大正期の本堂大改修時に屋根大棟の両側飾りとして作製。平成の改修で江戸時代の姿に戻された時に外された。
境内の北西部にある<井伊氏歴代墓所>。
本堂に向かって右手にある<鐘楼堂>。
鐘楼堂のそばにある石碑。<徳川四天王 井伊直政公出生之地>とある。
鐘楼堂の近くにある<東門(旧鐘楼堂)>。
本堂の右隣(東側)に建つ<庫裏>。
庫裏の入口が有料拝観入口になっている。
庫裏に入ったところ。
左を向くと、本堂に繋がる廊下が見える。
廊下を進んで、一つ目の部屋にある<丈六の釈迦牟尼佛>。遠州地方第一の大仏。江戸時代中期1729年の雲長作。仏像表面の傷は、明治期の廃仏毀釈の跡とのこと。
二つ目の部屋。
三つ目の部屋。本尊<虚空蔵菩薩>は秘仏で、御前立の<釈迦如来三尊佛>を安置。両側の襖絵は、江戸時代初期、東橋齋旭英筆の「龍虎の襖絵」。
右側の<龍>の襖絵。
左側の<虎>の襖絵。
四つ目の部屋。
本堂廊下の上には、甚五郎作の<龍>。
本堂の廊下を出ると、左の渡り廊下で<開山堂>と、右の渡り廊下で<稲荷堂>と繋がっている。開山堂は江戸時代中期1702年建立。
開山堂内部(西面)。<井伊家のお籠>が展示されている。
開山堂内部(南面)に安置されている<身代わり地蔵さま>。
開山堂内部(北面右側)。当山の和尚禅師の像かな。
開山堂内部(北面左側)。開山の黙宗瑞淵禅師の像。
開山堂の北側にある<井伊家御霊殿>。江戸時代中期1742年建立。
本堂と開山堂の間にある<稲荷堂>。
本堂と稲荷堂の間にある門。もとの庭園入口かな。
本堂の北側に広がる、小堀遠州作の<龍潭寺庭園>。国指定の名称。
庭園の裏手高台は<井伊谷宮>で、その斜面を利用している。
庭園を眺めながらゆっくりすることができる。
最後に、本堂内で見かけた龍の衝立。自分の好きなタイプ。(^▽^)/
遠州の紅葉を愛でる 其の四
「萬松山 龍潭寺」
言わずと知れた遠州の奥座敷・奥浜名湖の名刹
で、小堀遠州作の庭園や戦国武将井伊家の菩提
寺としても有名です。
個人的にも大変思い入れのあるお寺さんで、秋
の寺宝展が開かれ紅葉も楽しめるこの時季には
必ずお参りさせていただきます。
大河ドラマの流行りは少し昔の事になりました
が、それでも紅葉の時季は観光客で賑わいます
ので、拝観時間に合わせて早めに伺いました。
おかげで静かにゆっくりと回る事ができました。
庭園の縁側に腰を下ろし、直虎さんも眺めたで
あろう景色をのんびりと楽しめるのは、とても
贅沢な時間です。
山門
「萬松山」の山号額
東門(旧鐘楼堂)
境内の中で一番古い建物です
御本堂
御本堂内の鴬張りの廊下
開山堂
萬松稲荷
正夢稲荷と呼ばれ、祈れば夢が叶うと
言われています
井伊家御霊屋
井伊家歴代当主のお位牌を祀るお堂です
内部も期間限定で公開されていました
龍潭寺庭園
国指定の名所となっています
鐘楼堂
仁王門
梛の木と子育て地蔵
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