とおとうみぶんきいなりじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方遠江分器稲荷神社のお参りの記録一覧

ラジオ局K-MIXのイベントに行くついでに、近くの分器稲荷神社に立ち寄りました。
「ぶんき」は江戸時代からの地名であり、分木や分喜とも書かれていたそうです。
御由緒では、22代清寧天皇の御代に、天竜河原開墾のため御鎮座されたそうです。
こじんまりとしたお稲荷さんですが、巻物を口に咥えたお狐さんの面構えも凛々しく、良い風情の神社でした。
本多忠勝の屋敷推定地でもあるようです。







駐車場は⛩向かって右側の🅿️に停めさせていただきました♪
マンションが建ち並ぶ中にある神社で、金色のお狐様が社殿の前でお迎えしてくださってました😊


金色のお狐様

御朱印は拝殿前に♪

書置き(300円)で拝受しました😊

街の中のお稲荷さん 其の三
浜松の中心市街地の裏通りの一角に佇むお稲荷
さんです。
「分器」はこの辺りの旧い地名で、度量衡に携
わる役人が居た事に由来するそうです。
(度量衡というのは租税・貨幣・土地制度等の
確立の為、計量に用いる長さ(度)体積(量)
重さ(衡)の基準を定めた制度で、分器はそれ
に用いる計量器のことです)
由緒書きには坂上田村麻呂、源頼朝、徳川家康
三人の征夷大将軍に係わる記述があり驚きまし
た。
創建は徳川家康公が三河から浜松に入った永禄
十一年(1568)にという説もありますが、浜松城
の前身である曳馬城の城下宿場町の賑わいの中
に鎮座されていた様です。
家康公が曳馬城を大規模拡充し浜松城に移ると
この辺りは武家屋敷になり、神社のすぐ西隣に
は彼の徳川四天王の一人、本多忠勝公の屋敷が
あったとされています。
慶長九年(1604)に家康公の命に依り修造され
たという御本殿は、戦災により失われしまった
のは残念ですが、今もなお地域の方々に崇敬さ
れ、また憩いの場であることが感じられました。






御神木

奉納のぼりが境内を囲んでいました



本多忠勝 屋敷推定地の標柱
家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

御朱印は書き置きのものが設置されています

主祭神は倉稲魂神 鎮座している町名は田町だそうですが以前は分器という地名があったらしいのでこのお名前だそうです どこかの企業があったのかと思っちゃってました

御朱印は拝殿に置いてありますがこの封筒に封緘されていました

頂いた御朱印です 日付は自署…していませんがw


由緒書








静岡県のおすすめ3選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ


























































6
0