ほうこうじ|臨済宗方広寺派
方廣寺のお参りの記録一覧
浜名湖湖北 御朱印巡り 第三弾 臨済宗 大本山 方広寺さんです
下の駐車場からひたすら歩いて登りましたが、裏から回り込めば三重の塔辺りまで車で行けるようです
1371年後醍醐天皇の皇子・無文元遷により創建された。
1401年建立の七尊菩薩堂は重文指定されている。
本堂
本堂
本堂
三重塔
1923年建立
七尊菩薩堂拝殿
七尊菩薩堂拝殿
七尊菩薩堂拝殿
七尊菩薩堂
七尊菩薩堂
七尊菩薩堂
半僧坊
半僧坊
勅使門
開山堂
開山堂
開山堂
鐘楼
観音堂
💜大河ドラマ聖地巡礼
徳川家康公は三河国を平定後、遠江国進攻の際には、国境いの陣座峠を越えて先ずはこの方広寺に立ち寄ったそうです。
今年、方広寺では大河ドラマ放送を記念した特別な寺宝展が開催されています。
その中で家康公の正室築山御前が守り本尊として肌身離さず大切にされていたとされる石仏を納めた秘仏「腹篭地蔵尊」も拝見することができました。
(腹篭地蔵尊は普段は浜松市南区の地蔵院に祀られています)
ちょうど参拝した前日の放送は瀬名さんの最期を描いた「はるかに遠い夢」の回でした。
手を合わせながら改めてその人物像や歴史に想いを馳せる機会となりました。
東三河・遠州寺院巡りの4寺目は、3寺目の浜松市北区三ヶ日町の隣町の北区引佐町に在る深奥山 方広萬寿禅寺です。長いので一般的には方広寺。別称は奥山半僧坊。湖北五山の1つ。これで五山を全て参拝しました。(宝山寺、龍潭寺、大福寺は過去に参拝済みで、本日、摩訶耶寺と方広寺を参拝。)
臨済宗方広寺派の大本山で、本尊は宝冠釈迦如来。普賢菩薩と文殊菩薩を加えた釈迦三尊形式を取っており、三尊で重文。
この釈迦三尊像が、2年前の2021年に浜松市美術館で行われた「みほとけのキセキ」展で出展されていました。
1371年に遠江の井伊家の一族である奥山朝藤が開基、奥山朝藤が帰依した後醍醐天皇の11番目の皇子の無文元選を開山として創建。度重なる火災により何度も再建されているそうで、現在の本堂は明治38年から大正7年に掛けて再建された。尚、半僧坊は、半僧坊権現の事で、方広寺の鎮守です。
摩訶耶寺から方広寺へ行く道は、カーナビでは風越峠を越えるルートを案内しましたが、途中から擦れ違いが出来ない九十九折りのかなり細い道となります。そのせいか、車とは1台も擦れ違いませんでしたが、バイクと対面した時はビックリしました。(恐らくバイクの運転手も。) 遠回りになりますが、オレンジロードと名付けられたいかにも気持ち良さそうな道がありますので、そちらで行くのがよろしいかと。(googleMapを見ましたが断然オレンジロードが良い。)
駐車場は総門の奥と、三重塔の横の2ヶ所あります。(行ってみて知った。) 総門の方からは結構坂を上がらないと本堂に着きませんので、健常者は総門の方に、ご高齢の方や脚に難がある方は三重塔の方に停めるのがいいと思います。
車で総門をくぐると左右が駐車場で、停めさせて頂きました。直ぐ拝観受付がありますので拝観料(500円)を納めて入山します。弁財天の横を抜けると山門。山門を過ぎると石像の五百羅漢像があちこちどころか、そこらじゅうに置かれています。先へ行くと二股になり、左側が往路、右側が復路なので、左側へ進むと鳥居があります。神仏習合ですね。
椎河龍王堂の前を過ぎ、更に上がって行くと亀背橋。渡れば本堂前に出ますが、更に上がって三重塔へ向かいます。駐車場がありますので、こちらに停めれば五百羅漢像などは見れませんが楽チンです。やっと三重塔の前に着きました。綺麗だなぁと思ったら大正時代の建立でした。折り返して坂を下り、七尊菩薩堂の横を過ぎて橋を渡ると開山堂の勅使門の前に出ました。
右へ行けば本堂ですが、左奥の半僧坊真殿へ。鎮守社となりますが、社殿の造りはまるで寺院のお堂。昇龍降龍は細かく彫られていて格好いい。手を合わせてから引き返して本堂へ。(奥の院へ行く体力が無く今回は見送り。)
本堂はめっちゃ大きいです。入口は本堂横の庫裏から。本堂内部も当然めっちゃ広く、真ん中の須弥壇に本尊・宝冠釈迦如来坐像を中尊として、右側に文殊菩薩騎獅像、左側に普賢菩薩騎象像の三尊形式。展示会で観た時は光背や蓮華座無しの素の仏像でしたが、本来の安置場所で光背があり蓮華座や獅子/象の上に載っている姿は厳かで素晴らしいです。院派仏師の手による1352年の作で、元は常陸国(茨城県)の清音寺の本尊として伝わり、明治時代の本堂焼失後にこちらの本尊として遷されたものです。
本堂の先は渡り廊下によって観音堂、開山堂、半僧坊真殿は繋がっておりそれぞれお参りできます。(現在開山堂にはコロナ禍のため?入れません。半僧坊真殿は丁度祈祷中で内陣(と言うのかな?)には入れませんでした。)
庫裏の右側に納経所がありますので御朱印を頂き、復路を通って駐車場に戻りました。
御朱印
総門(黒門)
弁財天
山門
延命半僧杉
そこらじゅうに五百羅漢像
椎河龍王堂
三重塔(大正時代創建)
亀背橋
七尊菩薩堂
奥山稲荷
手水
開山堂の勅使門
半僧坊真殿
昇龍降龍(こちらは昇り龍)
格好いい
本堂の勅使門
鐘楼
本堂
釈迦三尊像(ネットから転載)
展示会で撮影
本尊・宝冠釈迦如来坐像
観音堂(回廊から)
観音堂(正面から)
らかん乃庭
開山堂
開山堂の庭
半僧杉
手振れでピンボケしてしまいました
【静岡県 人気寺社仏閣巡り】
方廣寺(ほうこうじ)は、静岡県浜松市北区引佐町奥山にある臨済宗方広寺派の大本山の寺院。山号は深奥山(じんのうざん)。正式名称は「深奥山方廣萬寿禅寺」。本尊は釈迦如来。七尊菩薩堂、木造釈迦如来及び両脇侍像が国指定の重要文化財。
創建は南北朝時代の1371年、遠江國の豪族・井伊家一族の奥山六郎次郎朝藤が、後醍醐天皇の11番目の皇子であった無文元選を開山に向かえ創建。無文元選は博多聖福寺の後、中国の元に渡って福州大覚寺で古梅正友に参じて嗣法し、帰国後三河の広沢庵にいた時に奥山朝藤に招かれた。当寺の景観が中国天台山方広寺を彷彿させたので現名称を付けた。その後、幾度も火災に遭い寺勢は衰退したが、1568年に徳川家康が訪れその後復興に力を注いだ。1587年には豊臣秀吉が朱印地50石と境内山林を寄進し勅願所とした。江戸時代の1786年には、光格天皇から開山の無文元選に対して「大慈普応禅師」の号が下賜された。明治時代に入り、政府の廃仏毀釈により寺領が削減され経済基盤を失ったが、鎮守である半僧坊の復元と臨済宗南禅寺派からの独立により建て直した。
当寺は、天竜浜名湖鉄道・気賀駅の北西6km、道のり8kmあまりの山あいにある。県道68号線(浜北三ヶ日線)脇の門前町を少し入ると仁王門があって、そこから参詣道の山道を数百m進み、高さを数十m上がると境内地に辿り着く。巨大な本堂を中心に伽藍は壮大。とても山寺とは思えない規模。一通り見て廻るだけでもたっぷり時間がかかる。
今回は、臨済宗の大本山であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、自分以外にも数組参拝客を見掛けた。
※当寺は、自分が日本各地の古寺巡りをするにあたって、参拝寺院決定のバイブルとして使っている本『日本の古寺100選 国宝巡りガイド』(日本神仏リサーチ・宝島社新書)に臨済宗の古寺として掲載されている。
※龍潭寺と方廣寺の共通拝観券があって、別々に購入すると500円×2=1,000円のところ、割引が効いて850円。自分はもともと両方拝観する予定だったので、龍潭寺にて共通拝観券を購入した。お得な感じで嬉しい。
※当寺は日帰り体験型の坐禅、写経ができるほか、精進料理をいただくこともでき、宿坊を備えているため宿泊研修もできる。
境内東部南端にある境内入口の<総門>。通称は「黒門」。
黒門をくぐると、道路脇に池があって庭園のようになっている。
池の島にある<出世弁財天>。江戸時代中期の1707年開創。1726年には江戸に出張開帳し「金山出世弁財天」として人気を集めたとのこと。1792年に当寺に遷され、爾後半僧坊とともに当山鎮守として祀られている。
苔生した荒々しい岩肌の上にたくさんの羅漢像が立っている。後ろの大岩は「虎豹巌(こひょうがん)」と呼ばれ、大岩の虎豹が山門を外護しているとされている。
参道のスタート地点にある<山門(三門)>。通称は「赤門」。正面の護口の掲額は高松宮宣仁親王の御筆。
山門の裏側。古雲関の額は足利紫山老師の筆。
一板橋を経文に見立てた<貝葉谿(ばいようけい)>。
<半僧坊表参道>の石碑。
<哲学の道>の石碑。だんだんと羅漢の数が増えてくる。
屋根で保護された<延命半僧杉>。パワースポットと書いてある。
<延命半僧杉>名前の由来は1881年に火災により幹の中が炭化したにもかかわらず再生し、その後140年以上生き延びたことによるとのこと。なるほど。
無数の羅漢が立ち並ぶ<五百羅漢>。
五百羅漢の奥には、宝歴年中(1751年~1764年)に三河の石匠によって造られた<石橋>。橋の上の羅漢の数が時により人により異なることがあるらしい。
いろんな表情の羅漢がある。苔生したところもいい。
参道を進むと、<奥山大権現>と書かれた朱色の六脚鳥居が現れる。
さらに参道を進むと左手にある<椎河大龍王堂>。当寺開山の無文元選が近隣を行脚中、川が増水したが龍神が橋となって無文元選を渡したという。以降、ここに龍神を祀っている。
椎河大龍王堂のあたりから参道は登山道のようになり、数十m上がったところにある<亀背橋>。渓流を越えて、本堂に辿り着く。
<本堂>全景。明治時代後期に着工、大正時代に竣工。間口32m、奥行27mの東海屈指の巨大な建物。
本堂の向かいにある<鐘楼堂>。
中央の大額「深奥山」は山岡鉄舟居士の書による。
正面建物が<大庫裏>で有料拝観入口になっている。その右側は<納経所>。御朱印はこちら。
ここから有料拝観スタート。寺務所から本堂に進む(東から西に進む)。
本堂内の壁に掛けてあった<釈迦涅槃図>。
本堂内は非常に広い。中央には国指定の重要文化財である<釈迦如来坐像>、<文殊菩薩坐像>、<普賢菩薩坐像>を安置(撮影禁止)。
本堂内の一部屋。
本堂の西側にある<観音堂>。
<観音堂>を外から見る。
<観音堂>内部。
観音堂の西側にある<開山堂>。
さらに西に進む拝観路の上部には、干支にちなんだ彫刻が。
拝観路の西端にある<半僧坊真殿>。外観はのちほど無料拝観エリアから。
本堂北側の順路を歩いて廻る。こちらは<出世羅漢>。
<願王塔>と書かれた石碑。
本堂裏の斜面を<らかんの庭>と呼ぶらしい。
本堂裏手東側にある、上に続く通路。
通路から見上げると建物が見える。
高台の建物は<上天台舎利殿>。
<上天台舎利殿>から南側を見下ろすと、大庫裏周りの建物の屋根が密集しているのが分かる。
有料拝観エリアを出て、外から境内西側に向かう。まずは<本堂>。
西端に近いところにある<開山堂>。
見えているのは<開山堂>の<勅使門>。
境内西端にある<手水舎>。ここから北に向かう。
境内北西端にある<半僧坊真殿>。一段高いところにある。
<半僧坊大権現>全景。
左側の<狛犬>。
右側の<狛犬>。
半僧坊真殿内部。
上部に掛かる掲額たち。
向拝には<登り龍・下り龍>の立派な彫刻がある。
反対側にも彫刻が。繊細で美しい。
境内西端を北側から南側に向かって歩いてみる。橋を渡ると西側斜面に2つの建物がある。右側は<奥山稲荷>。
階段上に建っている割と地味な建物は<七尊菩薩堂>。解説によると「一間社流造、杮葺」とあるので、見えるのは覆屋みたい。室町時代の1401年建立で、国指定の重要文化財。
境内西端の最南部の高台に三重塔があるというので向かってみる。
高台への坂道途中から<境内>全景。この山の中によくこんなに大きな伽藍を整えたものだと感心してしまう。(;゚Д゚)
最南部の高台にある<三重塔>。大正時代に京都の実業家の寄付により建立。この実業家は第一次世界大戦中の好景気で財を成したが、方広寺管長の忠告で好景気のうちに商売を手控えたところ、その後の急激な不景気による難を逃れた。このため、「倒産よけの塔」とも呼ばれているとのこと。(;゚Д゚)
三重塔の南側の景色。観光ホテルが何軒かあるのかしら。
最後に<三重塔>全景。当寺は広く大きく見どころ多く、歩き廻ってとっても楽しい。寺社仏閣好きには超おススメだが、そうでない人が観光地気分で来ても楽しいかも。(^▽^)/
遠州の紅葉を愛でる 其の三
あまりに広大な境内は御本堂の割りと近くまで
車でも行けますが、運動不足の身には丁度良い
ハイキングコースで、森林浴しながら快適に歩
くことができます。
見所も大変多く堂内もくまなく拝観できますの
で、紅葉も楽しみつつ時間を掛けて参拝させて
いただきました。
当日は中学校の生徒さん達が校外学習されていて、そこを掻い潜りながらの写真撮影でしたw
でも、こうして出掛けられる状況になってきて
いるというのも、有難い事だなあと思います。
大本山方広寺 御本尊
奥山半僧坊大権現
御本堂
御本堂内より望む
御本堂裏の「らかんの庭」
開山堂
亀背橋を望む
半僧坊真殿
半僧坊真殿脇から奥の院へと続く路
表参道、羅漢像と
参道入口、出世弁財天と山門
地元民には「奥山半僧坊」さんで通っています。
近くの奥山高原と併せて学校の遠足や宿泊訓練
等で馴染み深い場所だと思います。
とても広大な敷地は奥山の地名通りの山中に
あって、総門から本堂までは昔ながらの裏参道
を通ると、自然の只中に五百羅漢の像と小川の
せせらぎの音や鳥の囀ずり、蛙や蝉の鳴き声に
も心癒されます。
境内も立派な本堂をはじめ見所に溢れています。
拝観時は私一人きりで広い本堂を独占でした。
仕事のストレスから心がざわつく日々でしたが、
お参りさせて頂いて心中も少し整える事ができ
ました。ありがとうございました。
門前入口
門前の蕎麦屋「乃木そば神谷」さんはオススメです
総門(黒門)
山門(赤門)
裏参道「哲学の道」
五百羅漢像
椎河大龍王堂
亀背橋
御本堂
開山堂
昭堂
鐘楼
本堂の裏にある「らかんの庭」
半僧坊真殿
半僧坊真殿にある、上り龍下り龍一本彫の彫刻
三重塔
少し離れた所にあります
三重塔より御本堂を臨む
乃木そば神谷さんで参拝前の腹ごしらえをしました
応安4年(1371年)、元(中国)から帰国した無文元選禅師が土地の豪族・奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)の招きにより開いたのが始まり。
境内各所に安置される五百羅漢の石像は、拙巌(せつがん)和尚の発願で、明和7年(1770年)に完成したものですが、今も寄進を受け付けています。
ちなみに、鎌倉・建長寺の最奥に位置する半僧坊は、明治23年に、奥山半僧坊から勧請したもの。半僧坊大権現は、神通力を有する白髪の老人だったとか(奥山半僧坊大権現の御真体は鼻高天狗)。
明治、大正時代に奥山半僧坊の人気は大いに高まり、大正12年には浜松から奥山に至る参詣のための軽便鉄道(開業当時は濱松軽便鉄道、後に遠州鉄道奥山線)も開通したほど(昭和39年廃止)。
その奥山半僧坊のご真体は15年に一度開帳され、前回が平成25年でした。
方広寺では、日帰り禅寺体験、1泊禅寺体験、精進料理、座禅体験、写経体験なども実施。
高校の宿泊研修以来、20年ぶりの参拝です。
広い境内にたくさんのお地蔵様がいます。
マスク・フェイスシールド・菅首相似のお地蔵様まで。
奥の院までゼーゼーしながら頑張って歩きました。
フェイスシールド着用されています
三重塔近くから望む境内
「倒産よけの塔」と言われる三十の塔
県内最古の建物
奥の院へ
山道を登ります
奥の院
本堂
虎月岩(こげついわ)
菅首相似のお地蔵様
オシャレなマスク
臨済宗方広寺派の大本山です。半僧坊信仰で知られるようです。鎌倉の建長寺にも半僧坊がありますが、建長寺のサイトによると、方広寺の半僧坊の分身として祀ってあるようです。
建長寺の半僧坊には天狗の像がたくさん並んでいるのですが、方広寺ではほとんど見かけません。代わりに、おびただしい数の羅漢の石像があります。特に黒い総門をくぐり、受付で拝観料を納めて参道を歩き始めると、赤い山門のあたりからいくつもいくつも羅漢が現れます。それぞれ表情の異なる羅漢を眺めながら、本堂までゆっくりと緑に包まれた参道を歩くのが、このお寺の楽しみ方の一つだと思います。
巨大な本堂は内部を拝観できます。写真撮影は禁止でしたが、文殊菩薩、普賢菩薩を従えた釈迦三尊像は見応えがありました。本堂の裏手にもたくさんの羅漢像があります。
「奥山」の地名の通り、相当な山奥ですが、JR浜松駅から門前までのバスが日中は1時間に2本走っているので、時間は掛かります(1時間超)が、アクセスは悪くないと思います。
静岡県のおすすめ3選🎌
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