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曹洞宗安居山

石蔵院のお参りの記録一覧
静岡県 県立美術館前駅

かおり
かおり
2024年08月09日(金)
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応仁元年(一四六七年)有度浜沖に夜々霊光を放ち、綺雲が四方にたなびいているのを見た漁師が海中に網を放ちました。そして引き上げられたのが、丈3尺程の自然石で出来た地蔵菩薩でした。そのお地蔵さまは大変霊験あらたかだった為、村民達は謹んでこの霊像を敬い、堂宇を建ててお祭りしたのが起源とされております。その後、徳川家康公が駿府城へ隠居をする際、当時関三刹の中の一か寺であった千葉県市川市の総寧寺十八世勝国良尊大和尚に「 駿河の地に法燈相伝の敵地がある」と勧めました。そして慶長十二年(一六〇七)五月、殿堂を建てて勝国良尊大和尚を御開山としてお迎えしたのが当山の始まりとされます。以来、家康公は開山大和尚の高徳に帰依し、雪の朝、雨の夕暮れ、御前に侍して法談され、時が短い事を嘆かれ、神君は其の優れた人格を称え、崇拝の心が益々篤くなったそうです。元和二年(一六一六)四月、家康公が逝去された時には当山に一度霊柩を安置し、住職が香華を供え送棺されたとされております。(曹洞宗ナビより)

家康が子供のころ立ち寄ったり、柩を安置したことで有名。家康の家臣井出八郎右衛門の墓がある。

曹洞宗寺院であるが、家康公と深い関りがある。

こちらの寺院。お葉付銀杏の樹で有名だ。静岡県の天然記念物にもなっている。
確かに、葉からそのまま実がなっていた。
素晴らしい樹であった。

尚、安居という地名であるが、俳句の季語にもなっている。

安居(あんご)とは、夏に僧が一室に籠り修行すること。陰暦四月十六日から七月十五日まで。日本では禅宗で現在も行われている。【来歴】『増山の井』(寛文7年、1667年)に所出。【実証的見解】安居はサンスクリット語(梵語)でvarsa(ヴァルシャ)、雨に関する意を訳したもの。インドで始まった安居の本来の目的は雨期に活発になる草木や昆虫、小動物に対する無用な殺生を防ぐため、個々に活動していた僧が、一定期間ひとところにこもって修行しようというもの。釈迦在世中より始まったとされる。その後、仏教のとともに中国や日本にも伝わり、現在でも禅宗では、その修行が続いている。安居に入る「結制」は旧暦の四月十六日ころ、安居が明ける「解夏」は旧暦の七月十五日ころ、供えられる仏華を「夏花」、写経を「夏書」という。この期間修行僧たちは寺から一歩も外に出ず修行に精励する。【例句】しばらくは滝に籠るや夏の始め芭蕉「奥の細道」

夏百日墨もゆがまぬこころかな 蕪村「落日庵句帳」

久能山東照宮を中心に、この安居という地。どうも聖地という気がしてならないのである。といっても、私の考えすぎかもしれないが。

安居(あご)の地や 静まる寺院 安居(あんご)かな

石蔵院(静岡県)
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