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楽しみ方徳音院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月22日(水) 11時42分15秒
参拝:2026年4月吉日
いまひとたびの、久能山🍓
鳥居をくぐってすぐ、東照宮へ向かう石段のスタート地点にあるお寺です。
徳音院は徳川家康をはじめ三代将軍に仕えた南光坊天海により開かれたおです。御本尊は家康ゆかりの薬師如。
改めて調べてみると、久能山の歴史は7世紀まで遡り、補陀洛山久能寺として建てられたようです。その後、武田信玄は、要害の地として、寺院を他の場所へ移し、久能城を築きました。さらに、徳川家康も生前に、久能山城を駿府要害の地として重要視し、また、風光を愛でたそうです。
どの時代も、駿河湾を眼下に見渡せる要所として、また信仰の場として大切にされ、ミルフィーユのように歴史が重ねられています。
家光の代には社殿や寺院ができ、徳音院はその学頭として江戸時代は栄えていました。ところが、明治の廃仏毀釈で寺院はなくなり、徳音院だけが残されました。
ここでは、そんな昔の信仰の名残が感じられます。
鳥居をくぐってすぐ、東照宮へ向かう石段のスタート地点にあるお寺です。
徳音院は徳川家康をはじめ三代将軍に仕えた南光坊天海により開かれたおです。御本尊は家康ゆかりの薬師如。
改めて調べてみると、久能山の歴史は7世紀まで遡り、補陀洛山久能寺として建てられたようです。その後、武田信玄は、要害の地として、寺院を他の場所へ移し、久能城を築きました。さらに、徳川家康も生前に、久能山城を駿府要害の地として重要視し、また、風光を愛でたそうです。
どの時代も、駿河湾を眼下に見渡せる要所として、また信仰の場として大切にされ、ミルフィーユのように歴史が重ねられています。
家光の代には社殿や寺院ができ、徳音院はその学頭として江戸時代は栄えていました。ところが、明治の廃仏毀釈で寺院はなくなり、徳音院だけが残されました。
ここでは、そんな昔の信仰の名残が感じられます。
すてき
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Leaf207投稿
日本の歴史と文化と自然が融合している神社仏閣。以前は漫然と訪れるだけでしてが、2022年から御朱印を集めるようになり、もう少し体系的に理解を深められるようにと、日々勉強中です。もっと読む
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