やまなしかさもりいなりじんじゃ
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月見里笠森稲荷神社の御朱印・御朱印帳
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【完・20】月見里(やまなし)笠森稲荷神社__静岡県静岡市清水区岡町9
御祭神 天宇受賣命 (あめのうずめのみこと)
相殿には
宇迦能御魂命 (うがのみたまのみこと)
猿田彦命 (さるたひこのみこと)
久那斗命 (くなとのみこと)
速佐須良比賣命 (はやさすらひめのみこと)
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今を去る約1570年前、「天宇受賣大神」をこの台地に創紀したのが始まり。
この地で、ある一夜伊豆の山に上がる、輝く月に感激、
源為朝に、この社は「月見里(やまなし)稲荷」とするように告げられた。
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デッコロボウ 源為朝の似顔首像で子供たちは、この首人形に着物をつけて遊びました。
1.月見里(やまなし)笠森稲荷神社_
静岡県静岡市清水区岡町9__
御祭神 天宇受賣命
月見里笠森稲荷神社の由緒
・源為朝ゆかりの地
・弘法大師(空海)ゆかりの地)
お参りです、山門を通ります
手水社と拝殿
拝殿は通常入れません、が拝殿と本殿にお参りさせて頂きました。
5.拝殿から見た景色になります
拝殿の扁額
(編笠と石印鑑)
1160年ごろ 保元・平冶の乱に敗れた源為朝が、伊豆大島に流される途中 当社に数日滞留し 源氏再興を祈願して 源氏の頭領を示す遺品(編笠と石印鑑)を奉納しました。
拝殿から奥の方に本殿があります
本殿まで行きます。
10.本殿にお参り
本殿から見た拝殿
境内に咲いていた花 (10月)
境内に咲いていた花
剛勇強弓天下無双の鎮西八郎源為朝に
纏わる守笠と首人形(デッコロボウ)の話。
B4用紙2枚頂いたのですが、なるべく簡単に
・1156年保元の乱で鳥羽上皇方が勝利、源為朝は幼年15歳なので助けられた。
・1159年平治の乱において平氏が天下政権を掌握、源為朝は伊豆大島に流罪
・船出は大荒れで月見里の社に滞留、この地は絶好の月見の里である
・で「月見里稲荷神社」の由来、社名の始まりとなりました
・為朝は船出の折に感謝をこめて石の紋章と編笠を「月見里稲荷神社」に奉納した
・1170年代に30歳の若さで没したといわれています。
15.・1500年代文武両道にすぐれ身体も丈夫な武人でしたので、為朝の肖りたいと
・全国諸大名他諸人らが参詣する人が増加した
・為朝が頭に載いた編笠を被り祈願すると剛勇の人になれる
・縁結び・子授け・合格・七五三祝・麻疹など編笠被りにあやかってTVの取材あり
・江戸中期に堀尾市郎右衛門という..似肖像(あやかりく)..を造る名人がいた
・編笠被りの祈願から次第に為朝の似肖像の首人形に変わっていった
・特に子供の諸病がなおった、このため「市郎右衛門の泥像の坊」(でくのぼう)とよばれた。
・やがて訛りもあって 「いちろんさんのデッコロボウ」と変化し親しまれた
・「デッコロボウ」は天狗、鬼、お多福、狐、河童など多種になった
・昔は玩具もなく男の子・女の子も首人形に着物の端切れをつけて遊んだ
・初代から今は七代目「堀尾市郎右衛門」として似顔首像を造り続けています
(誤字・脱字あります、たぶん)
似肖像(あやかりく)→でくのぼう→デッコロボウ
時代の移り変わりです
紹介
『似肖屋(あやかりや)』旧東海道 江尻宿で商いをしています。
製造販売を行っております。 (現在の清水銀座商店街です)
店名の"似肖屋"は 月見里笠森稲荷神社の似肖像からいただき、"でくのぼう"は いちろんさんのデッコロボウから名前をいただきました。
http://www.ayakariya.jp/tenpo.html
静岡県静岡市清水区江尻町4-1
店名『サロン似肖屋』
似肖布は 手和紡糸使用の綿100%、染めは 先染め 後染めがあり、 どちらも植物染料が主染料になります。 すべて一点ものになり、似肖布それぞれに特徴があります。
20.名前の由来の「酔芙蓉」が咲いていました
(朝は白~ピンク~夕方に赤)
月見里笠森稲荷神社の御朱印・御朱印帳の写真一覧(2枚)
御朱印(2枚)
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