めふじんじゃ
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賣布神社ではいただけません
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賣布神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月25日(木)
参拝:2020年11月吉日
賣布神社(めふ~)は、島根県松江市和多見町にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は速秋津比売神(はやあきつひめ)、相殿神は五十猛命(いそたける)、大屋津姫命(おおやつひめ)、抓津姫命(つまつひめ)。別称は「白潟大明神」、「橋姫大明神」。出雲國神仏霊場第6番。
創建は不詳。奈良時代の733年に編纂された『出雲國風土記』に記載されている。また平安時代の927年に編纂された『延喜式神明帳』に記載のある「出雲國 意宇郡 賣布神社 小」に比定されている。古くは意宇の入海(宍道湖)西岸に鎮座していたが、潮流や地形変動に伴い東方へ遷座を重ね、13世紀ごろに現在地に祀られることになったと伝わる。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR山陰本線・松江駅の北西500mの、県道21号線(新大橋通り)沿いの市街地にある。屋根付き歩道の商店街の屋根がちょうど切れたところにある。市街地の中といいながらも、境内はけっこう広くて、大きな社殿やいくつかの境内社が立ち並び、大きな古木がいくつもあって、交通量の多い道沿いとは思えないギャップが面白い。
今回は、出雲國の式内社、島根県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、松江市の中心街近くにあることもあるのか、ぱらぱらと何組かの参拝者が訪れていた。
創建は不詳。奈良時代の733年に編纂された『出雲國風土記』に記載されている。また平安時代の927年に編纂された『延喜式神明帳』に記載のある「出雲國 意宇郡 賣布神社 小」に比定されている。古くは意宇の入海(宍道湖)西岸に鎮座していたが、潮流や地形変動に伴い東方へ遷座を重ね、13世紀ごろに現在地に祀られることになったと伝わる。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR山陰本線・松江駅の北西500mの、県道21号線(新大橋通り)沿いの市街地にある。屋根付き歩道の商店街の屋根がちょうど切れたところにある。市街地の中といいながらも、境内はけっこう広くて、大きな社殿やいくつかの境内社が立ち並び、大きな古木がいくつもあって、交通量の多い道沿いとは思えないギャップが面白い。
今回は、出雲國の式内社、島根県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、松江市の中心街近くにあることもあるのか、ぱらぱらと何組かの参拝者が訪れていた。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。細くて控え目な社号標には<縣社 賣布神社 御域内>と書かれている。
鳥居の先にある<神門>をくぐる。
参道進んで右側にある<手水舎>。
<拝殿>全景。横幅が広く重厚感がある。写真外右側の社務所と繋がっている。
<拝殿>正面。凝った彫刻が目を引く。
<拝殿>正面奥。やっと<延喜式内 賣布神社>と書かれた扁額が見える。
社殿右手にある<常光(つねみ)社>。
御神木を御神体とする<榎荒神社>。
拝殿後ろの<本殿>。大きな拝殿に比して、小さく細い造り。
本殿奥右側に建つ<船霊社>。
本殿奥左側に建つ<金比羅社>。
金比羅社前から見た<本殿>全景。細身の美しい造形。拝殿との横幅のギャップが大きい。
社殿左側奥にある<和田津見社>。
和田津見社の左側にある<厳島社・道祖社>。建物左側に立つ、注連縄の架かった巨木は<大松荒神>と名前が付いている。
大松荒神から神門などがある境内入口方向を望む。
<社殿>全景。ぱらぱらと参拝者が訪れている。
神門から拝殿に進む参道から見て、手水舎の後ろにある<恵美須社>。
恵美須社の左側にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た、拝殿正面。黒い龍の彫刻が繊細で美しい。
鳥居の左側にある駐車場から見た境内全景。広々とした境内は綺麗に掃き清められており気持ちが良い。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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