かもすじんじゃ
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楽しみ方神魂神社のお参りの記録一覧

参拝者用駐車場がありました。
日本最古の大社造りの本殿が国宝とのことでお詣りしました。
拝殿正面の急な石段を上がると拝殿が間近に迫っていて本殿は見えません。拝殿はごく普通なので、横に回って本殿をじっくりと拝見しました。
比較的なだらかな女坂から上がると本殿、拝殿を横から見る位置に出ます。
(御朱印第1557号)

直書き


2つ目の鳥居の左手に駐車場


参道を直角に曲がって急な石段を登ると拝殿正面にでます

参道をまっすぐに進むと女坂

女坂からはこの方向から境内に入ります

社務所側から

【神魂神社(かもすじんじゃ)】
神魂神社は、島根県松江市大庭町に鎮座します。神魂神社は天穂日命(あめのほひのみこと)によって創建されたと伝えられています。天穂日命は、天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)の際に生まれた神で、天照大神の第2王子にあたります。古事記によると天穂日命は、天上の神が地上の神である大国主命(おおくにぬしのみこと)を説得し、大国主命に代わって出雲の地を平定すべく、その遣いとして地上に降り立ちましたが、大国主命と仲が良くなってしまい、天上に帰ってこなくなったといわれます。天穂日命を始祖とする豪族の出雲国造(いずものくにのみやつこ)が25代に渡って神魂神社にて奉仕したとされており、出雲国造はのちに出雲大社の所在地である杵築に移住し、出雲大社の宮司家となっています。
神紋は、二重亀甲に「有」文字で、杵築(出雲)大社の古い時代の神紋と同じです。意宇六社のうち、神魂神社・六所神社・真名井神社がこの神紋です。
-祭神ー
①伊弉冉尊(いざなみのみこと)…伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の妻。国生み、神生みの女神。
出雲国 意宇(おう)六社めぐり ~その5~
古代出雲の中心であった意宇郡に鎮座する六社(熊野大社・神魂神社・八重垣神社・六所神社・真名井神社・揖夜神社)をめぐりました。

【一の鳥居】


【二の鳥居】

【参道・社号標】

【参道】
右、本殿への参道。

【手水舎】


【参道~拝殿】


【拝殿】

【本殿・拝殿】

【本殿】
国宝。現存する最古の大社造。


【拝殿】

【本殿】


【杵築社・伊勢社・熊野社】

【御釜宮】
天穂日命が、高天原から御釜に乗って大庭の里に現れたという伝説により、御釜神事が行われています。

【御釜】

【武勇社・蛭子社】

【荒神社・外山社・貴布祢稲荷両神社】

【外山社・貴布祢稲荷両神社】
貴布祢稲荷両神社は、国の重要文化財。


出雲國意宇六社めぐり③神魂神社⛩️へ参拝🙏国宝の神社になります雪が残っていて参拝しづらかったですが参拝されている方はいらっしゃいました、本日は社務所に誰も居なく御朱印は頂けませんでした😥

神魂神社

鳥居⛩️

手水社

拝殿

貴布彌稲荷両神社

貴布彌稲荷両神社

貴布彌稲荷両神社

武勇社

蛭子社

荒神社

杵築社

伊勢社

熊野社

意宇六社詣りの2社目は、松江市大庭町に御鎮座する神魂神社に参拝に行って来ました。出雲大社よりも古い神社と言われています。
静かな境内に入ると空気が変わり拝殿にてゆっくりとお詣りをさせて頂きました。
その後、社務所に行き御朱印を頂こうと行きましたが、誰も居なく不在でした。
諦めて次の神社に行こうと車に乗り込んだ直後に、神職さんらしき人が車に乗って神社方向へ走って行くのを見かけたのでもしかしたら思い、再度神社に行ったら社務所に電灯がともり、神職さんが居ました。
早速御朱印を頂きに行きました。
書いておきますので、お詣りをしてお待ち下さいと言ってましたので、再度拝殿にてお詣りをしました。
御本殿及び御内殿は現存最古の大社造。
御祭神は伊弉冊大神、伊弉諾大神になります。
イザナミの大神を祀る「大庭の大宮」さんと呼ばれています。
神魂神社は出雲国造の祖「天穂日命」が此地に天降りられて御創建になったと伝えられています。

鳥居

手水社

手水社は苔が生えて味がありました。柄杓が良かったです。

この階段を上がって行きます。

拝殿

由緒書き


熊野社

伊勢社

杵築社




外山社

荒神社


蛭子社

武勇社



島根旅行最後の1社。神魂神社さんは国宝の本殿をおもちの神社です。
本殿は現存する日本最古の大社造りだそうです。
古い建物を見るのが好きな私にとって とてもありがたい社殿でした。
主祭神は伊弉冊大神・伊弉諾大神です。
境内社も数多くあり そう広くない境内ですがお参りするのには時間がかかります。
御朱印を拝受しに社務所に訪れたのですが 作業の手を止めて書いてくださいました。
ありがたいことです。
由緒については
社伝によれば 出雲国造の大祖・天穂日命がこの地に天降って創建したと伝わるが 『延喜式神名帳』 国史や『出雲国風土記』に当社が出現しないが その理由として 出雲国造家が自らの祖神を大庭にあった邸内で私的に祀り祭祀を行ったていた または邸内に祀っていた社が起源であった可能性が強く そのため文献に記載がなかったと考えられ やがて現在地に勧請され 近隣住民の信仰を集める形となったと考えられている。
文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍家下文であり 実際の創建は平安時代中期頃とみられている。
出雲大社近傍にある意宇六社(熊野大社・真名井神社・揖夜神社・六所神社・八重垣神社・神魂神社)は 出雲国造家の緩い支配下にあったとされる。
特に神魂神社は 他社に比して出雲国造家の強い支配下にあり 享保20年(1735年)の『神魂社規式』に 神社の神主は出雲国造の名代として奉仕する者と記されている。
また出雲国造家が 明和9年(1772年)ごろ京都の柳原家へ宛てた書状『出雲両国造家代書状』などによると 神魂神社は出雲大社の摂社であり 神主や別火などの神職は 出雲国造の下司とされ 神魂神社は独立した神社と見なされていなかったことが窺える。
とありました。

一の鳥居

門はありませんでした

手水

手水には いい具合に苔が生えています

石段の上に拝殿

島根らしく太い注連縄

拝殿

こちらも小泉八雲ゆかりの地でした

拝殿と国宝の本殿

国宝

貴布祢稲荷両神社


外山社

荒神社

なんだろ

蛭子社

武勇社

井戸ではないですが・・・

本殿拝殿を横から

由緒書


熊野社

伊勢社

杵築社

社務所

素晴らしくて圧倒されました!
国宝である本殿はもちろんですが 参道や境内の雰囲気も迫力がすごくて言葉を失います。鳥居をくぐれば俗世と切り離れた気がしますし、拝殿と本殿を目の当たりすると迫力に圧倒されて鳥肌が立ちます。たまたまた大祓祭の日にお参りすることができたことにも感動しかありません。氏子さんが次々と参拝に来られる忙しい中、友人と共に御朱印も書いて頂けたことにも感謝です。念願だったイザナミ様に日々の守護に感謝を申し上げることもできました。
最古の本殿!よくぞ今まで残っていてくれたー!と心で叫びながら その美しい姿を眼に焼き付けて後にしました。
御祭神:
★伊奘冉大神
★伊弉諾大神

鳥居

鳥居

参道


手水舎





意宇六社~神魂神社
御祭神:主祭神~伊弉冊大神 配祀神~伊弉諾大神
出雲国造家では、現・国造が逝去すると、亡き父である国造の葬儀をすることなく、嗣子は直ちに神魂神社に参詣し、一昼夜のうちに神火相続の儀式を行うが、新・国造と神魂神社の秋上神主2名のみで本殿の内殿に参籠し行われ、神事が無事終了すると、直ちに神火相続成就の飛脚をたて、出雲大社へ報告し、その後、国造の葬儀を執り行ったとされる。

一の鳥居

参道

二の鳥居

社号

参道・石段

拝殿

拝殿

本殿 - 国宝
現存する最古の大社造り

本殿 - 国宝

武勇社~経津主
蛭子社~蛭子
神籬・荒神社~興津彦命

神籬・荒神社

外山社~鸕鷀草葺不合
貴布祢稲荷両神社~貴布祢社祭神=闇龗神、稲荷社祭神=倉稲魂命

杵築社~神素嗚嗚尊、葦原醜男
伊勢社~天照大神、月夜見
熊野社~速玉男命、事解男命、菊理姫~
御釜宮

手水舎

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