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さわかとじんじゃ

佐波加刀神社
滋賀県 木ノ本駅

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について御朱印
-
ありません

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神祇伯
神祇伯
2025年12月31日(水) 18時18分28秒
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近江国伊香郡の式内社です。伊香郡などの湖北地域を開拓したと伝承される日子坐王さまを御祭神として祀っており、伊香郡四十六座の随一の神社であったとされています。相殿として日子坐王さまの御子たちが祀られていますが、それぞれにも「王」の敬称がつけられているのが特徴です。

佐波加刀神社(滋賀県)

《鳥居と社号碑》

佐波加刀神社(滋賀県)

《神馬像》
胴体に描かれているのが社紋で、当社が伊香郡の一宮として仰がれていたことに因み、「一宮」の字を図式化したという珍しいものです。

佐波加刀神社(滋賀県)

《由緒書き》

佐波加刀神社(滋賀県)

《表参道》
小高い丘です。

佐波加刀神社(滋賀県)

《専覚寺》
伊香郡の式内社、特に長浜市内にあるものは高い確率で近隣に寺があり、神仏習合時代には寺の管理下に入っていたことで現在まで残っているのだと思われます。

佐波加刀神社(滋賀県)

《社務所》
普段は無人のようです。

佐波加刀神社(滋賀県)

《二の鳥居》

佐波加刀神社(滋賀県)

《手水舎》
蛇口式でした。洗ひつるここも…(略)

佐波加刀神社(滋賀県)

《土蔵》

佐波加刀神社(滋賀県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
御祭神の彦坐王さまは近江国で開拓と治水事業を行い、その子孫は淡海国造としてこの地を治めていました。当社以外には伊香郡に草岡神社と賣比多神社が彦坐王さまの子孫を御祭神としており、その親神を祀る当社が近隣における一宮とされた、または一宮とされていたからこそその大元である日子坐王さまを主祭神に据えたのではないか、などいろいろ考察できますね。
またこちらに安置されていた御神像八体が重要文化財に指定されており、ここから現在の祭神8座の構成になったと思われます。

佐波加刀神社(滋賀県)

《本殿》

佐波加刀神社(滋賀県)

《御神木》
権現の杉と呼ばれています。

佐波加刀神社(滋賀県)

《八幡神社》

佐波加刀神社(滋賀県)

《稲荷神社・金刀比羅神社》

佐波加刀神社(滋賀県)

《子安地蔵堂》
上記の末社と併せて神仏習合時代にそれぞれが寺の守護神として祀られていた神々です。

佐波加刀神社(滋賀県)

《野神》
伊香郡には「野神」という独自の信仰があり、神社によっては大木がその野神として祀られているところもあります。

佐波加刀神社(滋賀県)

《梵鐘》
伊勢湾台風によって鐘楼は倒壊してしまい、鐘だけが遺されています。

佐波加刀神社(滋賀県)

《寺院跡?》
専覚寺のちょうど上にある広い空き地ですが、両側に入り口らしき石が置かれています。

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佐波加刀神社(滋賀県)
《寺院跡?》 専覚寺のちょうど上にある広い空き地ですが、両側に入り口らしき石が置かれています。
佐波加刀神社(滋賀県)
《梵鐘》 伊勢湾台風によって鐘楼は倒壊してしまい、鐘だけが遺されています。
佐波加刀神社(滋賀県)
《野神》 伊香郡には「野神」という独自の信仰があり、神社によっては大木がその野神として祀られているところもあります。
佐波加刀神社(滋賀県)
《子安地蔵堂》 上記の末社と併せて神仏習合時代にそれぞれが寺の守護神として祀られていた神々です。
佐波加刀神社(滋賀県)
《稲荷神社・金刀比羅神社》
佐波加刀神社(滋賀県)
《八幡神社》
佐波加刀神社(滋賀県)
《御神木》 権現の杉と呼ばれています。
佐波加刀神社(滋賀県)
《本殿》
佐波加刀神社(滋賀県)
《拝殿》🙏 👁チェックポイント‼️ 御祭神の彦坐王さまは近江国で開拓と治水事業を行い、その子孫は淡海国造としてこの地を治めていました。当社以外には伊香郡に草岡神社と賣比多神社が彦坐王さまの子孫を御祭神としており、その親神を祀る当社が近隣における一宮とされた、または一宮とされていたからこそその大元である日子坐王さまを主祭神に据えたのではないか、などいろいろ考察できますね。 またこちらに安置されていた御神像八体が重要文化財に指定されており、ここから現在の祭神8座の構成になったと思われます。
佐波加刀神社(滋賀県)
《土蔵》
佐波加刀神社(滋賀県)
《手水舎》 蛇口式でした。洗ひつるここも…(略)
佐波加刀神社(滋賀県)
《二の鳥居》
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佐波加刀神社の基本情報

住所

滋賀県長浜市木之本町川合1277

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

佐波加刀神社

読み方

さわかとじんじゃ

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレなし

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 日子坐王
 大俣王
 小俣王
 志夫美宿禰王
 沙本毘古王
 袁邪本王
 佐波遅比売王
 室毘古王
ご神体

不詳

創建時代

不詳

創始者

日子坐王の子孫

本殿

三間社流造

文化財

木造神像8躰(重要文化財)

ご由緒

本社鎮座の年代は明らかでないが日子坐王は開化天皇の皇子で御母は姥津媛命であり大俣王以下七柱の王方は何れも同皇子の御子であります旧事本紀(十国造本記)に本社の祭神たる彦坐王の3世の孫大蛇牟夜別を成務天皇の後世淡海国造に定められたとあるところより推察するならば、その国造の子孫がここに繁行すると共に、いつの世にか祖先たる彦坐王を始めとし関係の他の王を併せて奉斎する1社を創立したのが本社の起りと思われます。1つの伝えにはそれは天平年間のこととせられており平安朝に入いるや醍醐天皇延喜の制国幣小社に列せられ、祈年の幣帛に預った。中世神仏習会の結果、いつしか東林坊という神宮寺ができ、建久元年良峰宗勝、本殿を再興し、又応永26年火災に罹りて、神社仏堂ともに烏有に帰するや、同29年領主京極高光、之を再興し又永享年中、将軍足利義教、上司に禄を与え神領を寄せるなどした。しかし戦国乱離の世となって、全く荒廃を来すに至った。後渡辺勘兵衛推庵豊臣秀吉社殿堂舎の修復をしたが江戸時代には彦根藩の崇敬厚く藩主の参拝又代参寄進等のことがあった。氏子の崇敬亦深く万治3年嘉永3年等の再建を経たものが現在の社殿である。延喜式内社。明治9年村社に同41年神饌幣帛料供進神社に指定された。
[滋賀県神社庁HP当社由緒書きより]

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