だいつうじ(ながはまごぽう)|真宗大谷派
大通寺(長浜御坊)のお参りの記録一覧
真宗大谷派長浜別院大通寺
真宗大谷派長浜別院大通寺
真宗大谷派長浜別院大通寺
真宗大谷派長浜別院大通寺
真宗大谷派長浜別院大通寺
真宗大谷派長浜別院大通寺
少し戻って大通寺様へ向かいました。
大通寺様は東本願寺様の別院で長浜御坊とも呼ばれています。
大通寺様は江戸時代には彦根藩井伊家と深い繋がりがありました。
寺領や伽藍の寄進のみではなく、井伊家の御子息、御息女をお迎えされています。
例えば「安政の大獄」や「桜田門外の変」の大老井伊直弼の七女砂千代姫は大通寺様の養女となり、その後大通寺第十代の住職の御内室となられています。
山門や伽藍が非常に立派で、さすが東本願寺様の別院やなぁなどと感心しきりでした。
また、御朱印はないかな?と思っていたのですが、法語印として書置きが用意されていましたので、日付けのみ書き入れて頂き拝受させて頂きました
<梅の花の香りに誘われて長浜御朱印巡り8>
長浜の町並みを楽しみながら歩いて大通寺に到着です。
長浜御坊さん、大きなお寺さんですね。
鳩もたくさん、のんびりとした雰囲気が良いですね☘️
本堂前の紅梅の蕾が膨らみ咲き始めていました。
大通寺さんの参道には、お花狐さんが沢山いました。
大通寺の天井に住み着いていた白い狐がお花という娘に化けたというお花キツネの長浜民話。
今も大通寺さんの天井にすみついているとか、油揚をお供えする方がいるそうです☘️
真宗大谷派 長浜別院 大通寺
大きな山門
龍神様の彫刻も見事!
龍神様の手水、お水は出て無いです。
大きな本堂
本堂と大広間は伏見城の遺構だそうです
紅梅のぷっくらした蕾が可愛いです。
本堂からみた境内
鳩🕊️も沢山、皆さんのんびり😊☘️
法語印はじめました。
の説明書き
お花さんのおはなし
大きな音量でお話流れています。
橋の欄干も狐🦊
参道にはお花きつねのオブジェ🦊
不思議なオブジェですね🦊
こちらの横道から長浜八幡宮の一ノ鳥居⛩️が見えました。歩いて向かいます♪
法語印
長浜の旅、次は大通寺(長浜御坊)。
こちらも黒壁スクエアに隣り合って建ってます。真宗大谷派の長濱別院です。1602年教如が長浜城内に創建しましたが、1652年に現在地に移築。元々は念仏道場の中心道場(御坊)であったとあります。
堂々たる山門をくぐると広い敷地にお堂が立ち並びます。本堂と大広間は伏見城の遺構だそうです。ハトがたくさんいて、境内は長閑でした。庭園も有名だそうです。
御朱印はないかと思いましたが、いただきました。
山門前。門前町の様相ですが、黒壁スクエアに繋がってます。
山門。大きーいです。
本堂
大広間。
本堂と大広間を繋ぐ廊下。内部拝観できます。
脇門。伏見城の追手門を移築。
庫裡。
長浜御坊、長浜別院とも称される。
天正年間(1573年~1592年)本願寺12世・教如上人が旧長浜城内に開いた道場が始まりとされる。
1602年徳川家康が本願寺の分立を許したことで大通寺として成立した。
1606年長浜城内から現在地に移転した。
本堂は伏見城の遺構。徳川家康が本願寺教如に贈ったもので、東本願寺の御影堂として使われていたものを、承応年間(1652年〜1654年)に移建したもので重文指定されている。
大広間(重文)は江戸初期の建立。本堂と同様、承応年間に東本願寺から移築したもので、伏見城の遺構と伝えられる。玄関は1760年彦根藩主・井伊直惟の息女数姫が建立したものである。
他、客殿(含山軒及び蘭亭)が重文指定されている。
本堂
本堂
本堂
本堂
広間
玄関
広間
鐘楼
太鼓堂
山門
長浜城から移築された大手門を見学がてら訪れましたが、本堂も伏見城からの移築と想像以上に見所が満載でした。
大広間も伏見城の遺構と伝わっています。
長浜城移築大手門です。
本堂は伏見城からの移築です。
過去記録✍️
長浜観光の際に訪問しましたが本当に大きくて広い!
歴史的な品の数々を見るのも楽しいですが特に広い部屋ではお殿様に仕える人(よく時代劇で見るような1段高いとこに殿が居てその下でズラっと並んで頭下げてる図)の気分が味わえる!この時中に誰もいなくて1人で贅沢気分になりました✨
どうやらレジェンド&バタフライの撮影にも使われたようです。確かにあれだけ広いから撮影使用も納得。
大通寺さんは色々イベントもやられていて伺った日は切り絵襖の展示もされていてとてもかっこよかったです。
また、本来宗派的に御朱印はやられていないのですが法語印、とゆう形で頂けます。
「遠慶宿縁」は親鸞聖人のお言葉です。
拝観受付におられたおばあ様もとても素敵な方でお話するのも楽しかったです🙏
正式名:無礙智山大通寺
通称:長浜御坊、御坊さん、長浜別院
真宗大谷派(東本願寺)の別院で、一般に「長浜御坊」の名で呼ばれている。
本願寺12世の教如上人が湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を旧長浜城内に開いたのが始まりで、当時は長浜御堂と呼ばれていた。
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602)には徳川家康より本願寺分立が許され、本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。内藤信成が慶長11年(1606)に長浜に移封された際に現在地に移したとされる。
伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0