そうじじ|真言宗豊山派
総持寺のお参りの記録一覧
そのまま総持寺様へ向かいました。
最初に歴史を感じる八脚の仁王門を潜ります。
参道を抜けると目の前に境内が広がります。
総持寺様は741年に聖武天皇が国分寺を展開させるモデルケースとして行基上人に命じて開かれた真言宗豐山派の御寺様です。
北近江の有力大名の京極氏や浅井氏の篤い庇護の元で繁栄しました。
しかし、1570年の織田徳川連合軍と朝倉浅井連合軍の姉川の合戦で灰塵と帰しました。
その後、豊臣秀吉に再興され、徳川綱吉からも篤い信仰を得ました。
御本尊の薬師如来像は平安時代に頭部を、江戸時代に胴体部を大修復されており「手術のお薬師様」「頭のお薬師様」として信仰を集められています。
滋賀・岐阜の寺社仏閣巡りの5箇所目は、滋賀県長浜市に在る医王山 総持寺です。
真言宗豊山派で、本尊は薬師如来。
所蔵の聖観音立像は重文で、千手観音立像は市指定文化財です。拝観には事前予約が必要です。
県下一の牡丹が植えられていて、牡丹の寺として有名です。こちらの豊山派の総本山は奈良の長谷寺で、長谷寺に倣って50年前に牡丹を植え始めたとの事です。
聖武天皇の勅命により国分寺の試しの寺として行基が開創したと伝わります。室町時代に後花園天皇の勅願と足利義教からの朱印により緒堂を建立。京極家、浅井家の庇護を受けていたが、戦国時代に織田信長の兵火により七堂伽藍は焼失。豊臣秀吉からの寄進により復興、また、5代将軍の徳川綱吉も帰依したとの事です。(徳川歴代将軍の位牌があったと思います。投稿をサボって4ヶ月前の事なのでうろ覚えです。)
時間があったので伊吹神社に寄り道しましたが、伊吹神社から近くて、約束時刻より前に到着。(遅れるのは厳禁。)
仁王門の横に広い駐車場があります。
牡丹の時期(4月下旬~5月上旬)は入山料(400円)が必要ですが、それ以外の時期は無料です。
仁王門から真っ直ぐ延びる参道があり、中門をくぐると広くなって、左側に大日堂、右側に鐘楼、護摩堂で、正面に納経所・拝観入口、斜め右前方に本堂です。
拝観入口で呼び鈴を押して拝観予約した者と伝え、拝観料(300円)を納めて上がらせて頂きました。ご住職の奥様にご対応頂き、先ず本堂内を拝観。千手観音立像は女性に人気があると仰有ってました。確かに優しいお顔の綺麗な仏像でした。
一通り本堂内を拝観し、次に客殿の襖絵等を観てから総持寺庭園を見ました。江戸時代初期造園の地泉回遊式庭園で、寺の西隣りで生まれた小堀遠州の作との事でした。
最後に御朱印を頂きました。牡丹が盛りの頃に再度お邪魔したいです。
御朱印
仁王門(県指定文化財)
阿形
吽形
中門
鐘楼
大日堂
納経所、拝観入口
護摩堂
本堂
薬師如来坐像(ネットから転載)
千手観音立像(市指定文化財)
聖観音立像(重文)
客殿
総持寺庭園(県指定名勝)
今はもう作れない歪みのある板ガラス
(撮影が下手糞なのでこの写真ではわからないですね。)
長浜の旅、最後は総持寺。
総持寺は741年に国家守護のため國分寺が作られる際に、試し寺として開かれたそうです。室町時代になり、後花園天皇の勅願と足利家の庇護により、七堂伽藍を備えたそうです。例に漏れず戦国時代に戦渦に見舞われますが、その後豊臣秀吉によって再興されたとあります。
観光地からは少し離れ、大変穏やかな時間が流れます。ただ、ボタン寺として知られ、開花期には大変な人気だそうです。
御朱印
仁王門。1635年築。
仁王像。
参道。
お寺全景。
この門を入ると境内へ。
護摩堂。
本堂。
庭園。
大日堂。
本堂を斜めから。
こちらのお寺も六社巡りで訪れました。随分前に一度牡丹の時期に訪れたことがあります。
色とりどりの牡丹の花が咲き誇っていました。
今年もまた、牡丹の時期に来ようと思いました。
ご本殿です。
お水が湧いていました。
立派な門があります。
牡丹の寺と言われるだけにとても綺麗な牡丹が咲いていました。
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