ちくぶしまじんじゃ(つくぶすまじんじゃ)
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楽しみ方竹生島神社(都久夫須麻神社)のお参りの記録一覧(3ページ目)

滋賀県長浜市、琵琶湖北部の沖合に浮かぶ周囲2kmほどの離島・竹生島に鎮座する都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)をお詣りいたしました。 祭神は、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)・宇賀福神・竹生島龍神、そして産土神の浅井比売命(あざいひめのみこと)の四柱です。 「惣国風土記」によると雄略天皇3年(459年)に、この地に浅井比売命を祀る小祠が造られたことが記されており、当社はこれをもって創建としています。 神亀元年(724年)、聖武天皇は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)の神託により、僧・行基を勅使として竹生島に遣わし大弁才天を祀って寺院(宝厳寺)を開かせたと伝えられ、天平3年(731年)に聖武天皇が参拝して天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)を社前に祀ったと謂われています。 平安末期になると弁才天と同一とされる市杵島比売命も祀られるようになり、神仏習合が進められる中で都久夫須麻神社と宝厳寺は次第に同一化していき「竹生島大神宮寺」「竹生島権現」「竹生島明神」「竹生島弁才天社/竹生島弁財天社」などの他、寺と神社を全部含めて「宝厳寺」と称されるようになります。 以降、明治時代に入るまでの長きに亘り、都久夫須麻神社はその存在が全く忘れられてしまうほど宝厳寺の一部と化していましたが、明治元年(1868年)に発布された「神仏分離令」により仏教寺院としての宝厳寺を廃寺したうえで神社とし、社名を「延喜式神名帳」から採った都久夫須麻神社に改めるよう命じられ、図らずもその名が再び登場することとなります。 廃寺に対し宝厳寺側は大いに反発し、また多くの信者の寺院存続の熱意もあり、結果明治4年(1871年)、宝厳寺本堂の「弁財天社」を都久夫須麻神社の本殿とし、社号を「都久夫須麻神社」へ改称したうえで宝厳寺との神仏習合を解くことで、宝厳寺は廃寺を免れ、寺院と神社が並存する現在に至ります。 尚、嘗て宝厳寺本堂であった都久夫須麻神社本殿は京都・伏見城の日暮御殿を移築したものとされていて国宝にも指定されています。
竹生島の上陸時間は70分~80分と限られていて、先に宝厳寺をお参りしてから都久夫須麻神社に廻ったので慌ただしい参拝となってしまいました。 拝殿は琵琶湖に面し、突き出した所に八大竜王拝所があり、ここで「かわらけ投げ」なる願掛けが行えます。 かわらけ投げとは、二枚の土器(かわらけ)の一枚に自分の名前、もう一枚に願い事を書き、湖面に突き出た鳥居(宮崎鳥居)へと投げ、投げたかわらけが鳥居をくぐれば願い事が成就すると言われているもので、私も挑戦してみました。
しかし、私のかわらけは湖面から吹き寄せる風に翻弄され、一枚はまったく見当違いの方向へ、一枚は鳥居に激突し粉々に砕け散ってしまいました(泣)。

都久夫須麻神社・鳥居
手前が竹生島神社(都久夫須麻神社)の鳥居、奥に見えるのが宝厳寺寺院名碑と鳥居

都久夫須麻神社・本殿

都久夫須麻神社・厳島江島神社

都久夫須麻神社・白巳社

都久夫須麻神社・宮崎鳥居

都久夫須麻神社・八大竜王拝所

【近江國 式内社巡り】
都久夫須麻神社(つくぶすま~)は、滋賀県長浜市早崎町(竹生島)にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は、浅井姫命、市杵島比売命、宇賀御霊命。御神体は竹生島自体で、別名「竹生島神社」。神仏習合時代は宝厳寺と習合して「竹生島弁財天社」、「竹生島権現」、「竹生島明神」と呼ばれた。
『総国風土記』によると、古墳時代の459年に浅井姫命を祀る小祠ができたのが始まり。奈良時代の724年に天照大神の神託により市杵島姫命が祀られ、731年には聖武天皇が参拝され神殿を新築した。764年の藤原仲麻呂の乱の際には当社の神護により治乱したため、年号が天平神護と改められ、祭神に従五位の神位が授けられた。平安時代になって神宮寺として宝厳寺が建立されると、天台宗の僧が度々参拝するに及び「辨智」・「辨財」の利益を受けて辨才天信仰が盛んになっていった。1183年に平経正が当社の拝殿で仙童の琵琶で秘曲を弾じたことが『平家物語』や『源平盛衰記』に記されている。1232年、1453年、1558年に火災で社殿を焼失しているが、その都度再建している。1602年には豊臣秀頼が片桐旦元を普請奉行として伏見桃山御殿の一部を移し、現社殿を造営させた。明治寺時代に入り、近代社格制度のもと、県社に列格した。
当社は、竹生島南部の唯一の船着き場から海岸沿いに東方に向かった山の斜面にある。船着き場で船を降り、少し歩いてから拝観受付を通ると、「祈りの石段」と呼ばれる宝厳寺本堂への石段を少し登ったら右側(東側)に小さな鳥居があるので、そこをくぐって進むことになる。当社の境内地は広くはないが、高台に本堂、海に面した絶壁上に八大竜王拝所があり、その間のスペースに境内社がいくつかある。なお、かつての神仏習合の時代には当社と宝巌寺は不可分であったため、当社本殿はかつての宝厳寺・弁才天堂であり、現在でも宝厳寺観音堂とは渡廊下で繋がっている。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社でであることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、自分が乗ったクルーズ船には30人ほどの乗客がいた。(この日は、天気は良いが風が強く、琵琶湖に波が立っていたため、他の船は来ていなかったみたい。自分が乗った今津港発着船も、午後は欠航とのことだった。)

竹生島クルーズ遊覧船から見た竹生島全景。

竹生島南岸に上陸してから、門前町風商店街を抜けて進む。

拝観券発売所に到着。

階段を見上げると<一の鳥居>があり、扁額には「竹生島神社」と書かれている。この後、順路は右方向に進む。
後ろの鳥居は宝厳寺の鳥居で、扁額には「巌金山」と宝巌寺の山号が書かれている。

一の鳥居の右側にある<二の鳥居>。

二の鳥居をくぐって進むと、右側(谷側)に港の綺麗な景色が見える。

参道右側にある<黒龍堂>。黒龍大神と黒龍姫大神を祀る。

さらに進むと左側(山側)に、宝厳寺渡廊(舟廊下)の舞台造が見える。

境内南側に廻って、国宝<本殿>全景。関白豊臣秀吉が時の天皇を迎えるためにその時代の粋を集めて造った伏見城内の「日暮御殿」を神殿として寄進したもの。
<本殿>は入母屋造前後軒唐破風付、周囲庇及び正面向拝1間付 間口3間 奥行3間。

<本殿>正面①。

<本殿>正面②。

<本殿>正面③。宝厳寺の唐門・観音堂・渡廊下を通ってくると、最初に見えるのはこの場所。

本殿の右下にある<江島神社・厳島神社>の鳥居。

<江島神社・厳島神社>の社殿。なお江島大神と厳島大神は、ともに竹生島大神(市杵島姫大神)と同神。

本殿の左下にある<天忍穂耳神社・大己貴神社>の鳥居。

<天忍穂耳神社・大己貴神社>の社殿。

本殿に向かい合うようにして建つ、境内南端の<八大龍王拝所>。

拝所の内部中央にある授与所。本来御朱印はこちらで拝受できるようだが、神職さんに聞くと、この日は領布しておらず、書置きもないとのこと。コロナの規制はないのになんでかな?(。´・ω・)?

建物内部の南側には<琵琶湖水神 竹生島竜神拝所>。

八大龍王拝所の南側には、琵琶湖に突き出た場所に宮崎鳥居が立っている。

八大龍王拝所に向かって右側にある<白巳大神>。表札には「金寶冨貴」の文字。(o^―^o)

白巳大神の隣にある<弁財天堂>。

最後に、国宝<本殿>全景。美しい造形。 (^▽^)/

晴れててとてもよかったです。

かわらけに願い事を書いて、投げたかわらけが鳥居をくぐれば願いが叶うそうです。

中は撮影禁止でした。

以前、友達のお土産でいただいた事がありました。
弁財天の小判です。

こここら「かわらけ投げ」します。





神が宿る湖上のパワースポットとして有名で、日本三代弁財天の一つでもある。
船に揺られること40分。滞在時間70分。
最終便のため、帰りの船に乗り遅れるわけにいかず、大急ぎで心臓破りの急な石階段を登り切り、
プチ呼吸困難😰
宝厳寺➡︎都久夫須磨神社➡︎弁財天様で小判の御守を頂き➡︎白巳大神➡︎竜神拝所でかわら投げ➡︎黒龍大神
隅々までゆっくりお参りするには時間が足りな過ぎたけど、一度に沢山の参拝客が上陸しないのがありがたかった。
今回も、参道にニホントカゲが現れ、龍神さんをお参りしてるときに黒蝶が周りを舞い、スピリチュアル的には、とてもいい出会いであるとのこと😊
天赦日より、御朱印集めを開始。
まずは、西国三十三ヶ所巡り。
ピンと来た時に伺おうと思う。
てか、人生初の御朱印帳
名前入れますよって言うてくださったので、間違いのないようにあえて大きく書いたうえ、念を押して一言添えたのに、漢字間違えてた😅
ま、まともに書かれた事がほぼないから、別にいいんだけど😁
















朝起きて、思い付きで初めての琵琶湖遊覧船で竹生島へ(´ー`)
島自体が寺社となっており、島に上陸したら入島料が一人500円。
宝厳寺の唐門から都久夫須麻神社へ。
御神体である琵琶湖の鳥居へ瓦2枚を投げました。2枚ともくぐったので良いことありそうです😊
御朱印は現在新型コロナウィルスの影響により中止との事です。
本殿は国宝です(゚ω゚)天井の絵は内覧する事は出来ません。

島に上陸します(゚ω゚)
フェリーは往復3000円です

都久夫須麻神社の鳥居です。

島の案内図。神社参拝道の案内図なので宝厳寺は後ろになっていました。

本殿です。



白巳大神。弁才天の神使としての白蛇神である白巳大神を祀る祠。柱に「金寶冨貴」とあり、まさに「金寶冨貴の聖地」。
スマホの壁紙にします(´ー`)

北陸の木曽義仲討伐の途中、平経正(たいらのつねまさ)が竹生島で琵琶を奏でると龍神が聴きに来たとの伝説があります。
倶利伽羅の戦いでは木曽義仲の勝利となりました。

島を下山途中。

土台の柱含め、見上げてしまいました。

黒龍大神・黒龍姫大神。
御神体琵琶湖ですから水神→龍ですね。
福井県にも有名な「毛谷黒龍神社」があります(´ー`)

帰りのフェリー乗り場から。
次はいつ来れるかな(´ー`)

令和2年 / 【GoToで 】滋賀・京都日帰り旅。
宝厳寺と同じ竹生島内、『舟廊下』を渡った先。
2ヶ所目はこちらです。
本殿内の横に繋がっていて、ちょっと驚きました。
『本殿』をお参りし、『竹生島龍神』をお参りしました。
ここからは、琵琶湖に面した『龍神拝所』が望めます。
湖面がキラキラとしていて神秘的でした。
滞在時間は、約75分。
次は【正法寺】に向かいます。
※雑談ですが…
『竹生島神社』別名『都久夫須麻神社』。
この『都久夫須麻』ってどういう意味なんだろうなーと思っています。
(調べ方が悪いのかみつかりません。)

『本殿』

『舟廊下』から繋がっている所。
(横に出て来ます。)

建物の並びはこの案内板が分かりやすいかしら?

『竹生島龍神』と『龍神拝所』

『龍神拝所』

竹生島訪問後編です。竹生島には前編で紹介した宝厳寺と都久夫須麻神社があります。こちらの本殿も国宝になっています。

本殿は宝厳寺の唐門、観音堂から続く舟廊下の向こう側にくっついています。実は元々宝厳寺の本堂だったのが明治の神仏分離令で都久夫須麻神社の本殿に変えられたそうです。

こちらが本殿です。秀吉公が京都の伏見城内に時の天皇をお迎えするためにその時代の粋を集めて建てた「日暮御殿」をこちらに神殿として寄進されたそうです。何かオーラが凄いです。

本殿の右手前には境内摂社の厳島神社、江島神社が祀ってあります。

左手前は天忍穂耳神社、大己貴神社が祀ってあります。

全部まとめるとこんな感じ。落ち着いているけれど、迫力があります。左側に舟廊下が見えます。

本殿でお参りしました。

おー、彫刻が凄いことになっているぞー🤩

アップです。色はあせていますが、当時は唐門のように極彩色に飾られていたそうです。国宝になったわけがわかります。

本殿の向かいには竜神拝所がありました。

海に面していて、とても眺めがいいです。

拝所からかわらけ投げの鳥居が見えます。小皿みたいな「かわらけ」を投げて、鳥居の間を通ると願いが叶うそうです。白く見えるのが「かわらけ」です。残念ながら願いが叶う人は少なそうです(笑)私もやりたかったのですが台風接近のため中止でした😱

神社の御朱印は見当たらなかったです。帰りの時間が迫って来たので、港まで降りました。見上げると唐門が見えました🎶

ではおさらばです。さようなら〜!
ありがとうございました〜!!

令和2年7月、宝厳寺に続いて同じ竹生島の都久夫須麻神社へ⛩️
社伝によれば第21代雄略天皇3年(459 )、浅井比売命を祀る祠を建てたのが始まりという。
御祭神は市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神🐲
国宝の本殿は秀吉の伏見城「日暮御殿」を、秀頼が寄進・移築したもの。
コロナのためか御朱印はなし😥しかし現在は書置きが復活してるようで、いつかもう一度島に渡らねば⛴💨

竹生島へ向かう

龍神拝所が見えます👀

赤備え船「直政」

宝厳寺から船廊下を渡り

国宝の本殿


龍神拝所。かわらけ投げできます。
滋賀県のおすすめ2選❄️
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