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りょうたんじ|臨済宗妙心寺派弘徳山

龍潭寺の御由緒・歴史
滋賀県 彦根駅

ご本尊釈迦如来
創建時代1600年(慶長5年)
開山・開基昊天宗建
ご由緒

 井伊氏の始祖、藤原共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、
奈良時代行基(ぎょうき)によって遠江(とおとおみ)国(現静岡県)井伊谷に開基された、
臨済宗妙心寺派の寺院です。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、
昊天(こうてん)が佐和山(232.5m)山麓に移築しました。近郊に多くの末寺をかかえ、
学僧が学ぶ大道場でした。
 潭龍寺垣と呼ばれる竹垣が続く参道を抜けると、緑の木々をバックに江戸時代中・後期に建立された
禅寺らしいわびたたたずまいの山門や仏殿が見えてきます。江戸時代初期に建立された方丈(ほうじょう)は、
彦根にある数少ない方丈建築の1つです。方丈襖絵前104面は、蕉門十哲(じゅってつ)の
1人森川許六(もりかわきょりょく)によって描かれたもので、東庭とともに市指定の文化財になっています。
寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼(なおすけ)の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っています。また、藍渓和尚伝来の七福神も拝観できます。毎年4月1、2日にだるま祭りが行われます。

歴史
歴史[編集] 龍潭寺は、天平5年(733年)遠江国引佐郡(現・静岡県浜松市北区引佐町)に行基によって開かれたと伝えられる。平安時代中期一条天皇のころに井伊共保がここで葬られたことから、井伊氏の菩提寺となった。臨済宗妙心寺派の寺院となったのは室町時代末期井伊直平の代のようである。 それが、慶長5年(1600年)に井伊直政が近江国佐和山城に転封となると、龍潭寺の五世昊天宗建禅師を当地に招いて遠江国から分寺して建立したのがこの寺である[1]。 佐和山を借景にした方丈南庭「ふだらくの庭」は枯山水庭園、書院東庭「蓬莱池泉庭」は池泉鑑賞式庭園であり、共に開山・昊天宗建の作庭によるものである。他にも書...Wikipediaで続きを読む
引用元情報龍潭寺 (彦根市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%BE%8D%E6%BD%AD%E5%AF%BA%20%28%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%B8%82%29&oldid=98357581

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