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彦根市長曽根町にある 白山神社にお参りしました。
ご祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
慶長8年 井伊直継による彦根城の築城に際し いくつかの神社 仏閣を整理しました
その時 中藪地区にいた信仰の厚い7名の郷民らの意思により 長曽根白山総社から分霊を勧請し 北青柳中藪に鎮座させたのが始まりだそうです
住宅街の中にあり 境内はきれいに整備されていました
地域の方々が大切にされている様子がわかりますね
気温も上がってきましたが 水分補給をしながらのんびりとお参りしました
(本当はのんびり所ではないのですが・・この後涼しい所に避難しました🍧かき氷 これにつきます!!ね)

鳥居

手水舎

稲荷社鳥居

拝殿

本殿

石碑御大典記念 とあります

長曽根虎徹の井戸のすぐ北側です、記念碑にご由緒ようなものが書かれています
平安末期には長曽根と云う地名が古文書にみられ、彦根の地が里根・彦根・長曽根の三根によって形成されていた時代から三根の守護神として北野寺[現北野神社]の地に白山大権現として鎮座していたが、彦根城築城の際に山頂にあった彦根寺がこの地に移され、併せ[天神さん]を勧請奉斎し、彦根寺を北野寺と改め井伊家の守護神として尊崇するようになった頃、白山権現社は取り壊されたものと考えられる。その後藩主直興により再建されたが、長曽根の大火により天満宮と共に焼失。
御祭神菊理媛の命は再建された天満宮に合祀されていたが、明治八年氏子民相計り、当時道場のあった現在地に新社殿を建立。明治十一年には、元の白山大権現社のあった北野神社の一角に社殿も建てられ、現在は御旅所としてその歴史を残している。
因みに、社霊とも云うべき神輿は、元亀二年[一五七一]信長、佐和山城攻めの折り、現甲良町池寺西明寺に神輿を移し難を逃れたと村の古書にある。
今回境内の拡張整備、石玉垣・燈籠建立を期に由緒石柱にその歴史を記すものである。
文、宮司 滝澤隆司









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