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円照寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年07月07日(木)
参拝:2022年6月吉日
浄土真宗本願寺派 三光山 円照寺
旧中山道沿いに位置していて、山門前には中山道64番目宿場町・高宮宿本陣跡がありました。
本陣跡の写真をあとで撮ろう!と思っていたんですが、暑さで完全に頭がやられていて撮り忘れていたみたいです😅
以下、中山道高宮宿のパンフレットより
『明応7年(1498年)、高宮氏の重臣北川九兵衛が、真宗本願寺派の第九世門跡光兼(実如)上人に帰依し剃度し、釈明道と号し、高宮に一宇(一軒の家)を建てたのが起源であり、寺号が公称されたのは慶長元年(1596年)です。
本地の歴代住職のうちこれまで六名の学者(うち三名勧学者)を生み出し、江戸より明治にかけて円照寺学派とも呼ばれました』
明治11年、明治天皇御巡幸の際にこちらにご宿泊されたそうです。
その下見分の際に宮内官が訪れて、書院玄関前に低く伸びた大きな松の枝があり、乗り物のご鳳輦(ほうれん)の通行の妨げになるから切れと言われたところ、当時の住職・水原慈空が「仏法領のものだから簡単には切れない。陛下が切れと言われるのであれば仕方ない」と言い張ったそうです。
それを陛下に話されたところ、「そんなに人民に迷惑をかけるものではない」とお笑いになったとか。
その松は「止鑾松(しらんのまつ)」と呼ばれ、現在は二代目となっています。
旧中山道沿いに位置していて、山門前には中山道64番目宿場町・高宮宿本陣跡がありました。
本陣跡の写真をあとで撮ろう!と思っていたんですが、暑さで完全に頭がやられていて撮り忘れていたみたいです😅
以下、中山道高宮宿のパンフレットより
『明応7年(1498年)、高宮氏の重臣北川九兵衛が、真宗本願寺派の第九世門跡光兼(実如)上人に帰依し剃度し、釈明道と号し、高宮に一宇(一軒の家)を建てたのが起源であり、寺号が公称されたのは慶長元年(1596年)です。
本地の歴代住職のうちこれまで六名の学者(うち三名勧学者)を生み出し、江戸より明治にかけて円照寺学派とも呼ばれました』
明治11年、明治天皇御巡幸の際にこちらにご宿泊されたそうです。
その下見分の際に宮内官が訪れて、書院玄関前に低く伸びた大きな松の枝があり、乗り物のご鳳輦(ほうれん)の通行の妨げになるから切れと言われたところ、当時の住職・水原慈空が「仏法領のものだから簡単には切れない。陛下が切れと言われるのであれば仕方ない」と言い張ったそうです。
それを陛下に話されたところ、「そんなに人民に迷惑をかけるものではない」とお笑いになったとか。
その松は「止鑾松(しらんのまつ)」と呼ばれ、現在は二代目となっています。
すてき
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