1308年吉野の修験者が大和吉野山の金峯神社を勧請したとされる。 1503年赤沢朝経の音羽城攻めの兵火(伊庭氏の乱・近江守護・六角高頼と守護代・伊庭貞隆の内乱)により焼失したが、1663年再建された。 隣接する寂照寺にある鎌倉時代後期建造の宝篋印塔は、もともと金峯神社の参道入口の鳥居横にあったものである。 境内社は勝手神社と金刀比羅神社があるがどちらがどちらか分からなかった。
拝殿
覆屋
本堂
徳本上人名号碑
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