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正覚院ではいただけません
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正覚院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年12月10日(日)
参拝:2023年8月吉日
滋賀県南部の寺院巡りの3寺目は、2寺目の守山市の隣(野洲市)の隣の竜王町に在る繖山 正覚院です。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来。この本尊・阿弥陀如来坐像は重文で、地蔵堂の地蔵菩薩立像も重文です。
拝観に際しては、竜王町観光協会に取り次いで頂き、事前に予約してから伺いました。
近江八幡市に在る天台宗の繖山桑実寺の子院として創建。十二代将軍足利義晴が仮幕府を置いた。後に浄厳院の末寺となり、浄土宗に改宗。1738年に現在地に移転して現在に至ります。
山号が繖山(きぬがさやま)のため、西国三十三所観音霊場の観音正寺と同じだなあと思っていたら、元は繖山に在ったとお聞きして納得した次第。
境内は塀で囲われており、境内の直ぐ右側が駐車場でしたので、停めさせて頂きました。
山門はありません。入口の正面に本堂、右側に庫裏、左側に地蔵堂です。
庫裏にて拝観予約した者と伝えると本堂正面からから上がってくれと。奥様に対応して頂きました。少しお話させて頂いて、後はゆっくりご自由に、写真もOKとの事でしたのでお言葉に甘えて。
須弥壇の真ん中に本尊・阿弥陀如来坐像、高さ約85cm、彫眼、定朝様、丸顔で優しいお顔、平安時代後期の作、やや痛みと虫喰いがあります。
右側の脇間には善導大師と円光大師・法然(多分)、右側の脇間には三十三観音。地蔵堂は本堂から行く事ができ、途中の間に阿弥陀如来立像が安置されていました。
地藏堂には地蔵菩薩立像、高さ約143cm、彫眼、鎌倉時代初期の作、右手は錫杖を掴み・左手は宝珠を持っていますが両手先共に後補のため元々の持ち物は不明です。また、沓を履いているのは珍しいと思います。目尻がやや下がり、鼻が大きめで人懐っこい感じです。
最後にご朱印を頂いて失礼する積りでしたが、「ご住職不在であり、書置きも用意していない。事前に言って頂かないと。」との事でしたので、「再度伺うので、その予約時に御朱印を頂きたいとお願いする。」とお約束して失礼する事にしました。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来。この本尊・阿弥陀如来坐像は重文で、地蔵堂の地蔵菩薩立像も重文です。
拝観に際しては、竜王町観光協会に取り次いで頂き、事前に予約してから伺いました。
近江八幡市に在る天台宗の繖山桑実寺の子院として創建。十二代将軍足利義晴が仮幕府を置いた。後に浄厳院の末寺となり、浄土宗に改宗。1738年に現在地に移転して現在に至ります。
山号が繖山(きぬがさやま)のため、西国三十三所観音霊場の観音正寺と同じだなあと思っていたら、元は繖山に在ったとお聞きして納得した次第。
境内は塀で囲われており、境内の直ぐ右側が駐車場でしたので、停めさせて頂きました。
山門はありません。入口の正面に本堂、右側に庫裏、左側に地蔵堂です。
庫裏にて拝観予約した者と伝えると本堂正面からから上がってくれと。奥様に対応して頂きました。少しお話させて頂いて、後はゆっくりご自由に、写真もOKとの事でしたのでお言葉に甘えて。
須弥壇の真ん中に本尊・阿弥陀如来坐像、高さ約85cm、彫眼、定朝様、丸顔で優しいお顔、平安時代後期の作、やや痛みと虫喰いがあります。
右側の脇間には善導大師と円光大師・法然(多分)、右側の脇間には三十三観音。地蔵堂は本堂から行く事ができ、途中の間に阿弥陀如来立像が安置されていました。
地藏堂には地蔵菩薩立像、高さ約143cm、彫眼、鎌倉時代初期の作、右手は錫杖を掴み・左手は宝珠を持っていますが両手先共に後補のため元々の持ち物は不明です。また、沓を履いているのは珍しいと思います。目尻がやや下がり、鼻が大きめで人懐っこい感じです。
最後にご朱印を頂いて失礼する積りでしたが、「ご住職不在であり、書置きも用意していない。事前に言って頂かないと。」との事でしたので、「再度伺うので、その予約時に御朱印を頂きたいとお願いする。」とお約束して失礼する事にしました。
すてき
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nomuten990投稿
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