ひゃくさいじ
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楽しみ方百済寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年11月25日(火) 22時28分11秒
参拝:2025年11月吉日
【釈迦山(しゃかさん)百済寺(ひゃくさいじ)】
本尊:十一面観音(植木観音)
宗派:天台宗
開基:聖徳太子
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第35番~
百済寺は、滋賀県東近江市百済寺町に位置します。606(推古天皇14)年、聖徳太子の建立と伝わります。百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号しました。
「湖東三山」のひとつとして知られています。
~聖徳太子に創建され、「小叡山」と呼ばれて繁栄しながら、信長という一人の武将によって百済寺は灰燼(かいじん)に帰した。だがその寺が、江戸時代に再興されてこうして甦っている。たとえ伽藍は消えてしまっても、おそらく地域に住む人びとのこころのなかには、ずっと百済寺が生きつづけていたのだろう。そして、寺の再興を願う人びとの気持ちが結実して、全滅した寺が復活した。~
~『百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海』五木寛之(講談社、2004)~
本尊:十一面観音(植木観音)
宗派:天台宗
開基:聖徳太子
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第35番~
百済寺は、滋賀県東近江市百済寺町に位置します。606(推古天皇14)年、聖徳太子の建立と伝わります。百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号しました。
「湖東三山」のひとつとして知られています。
~聖徳太子に創建され、「小叡山」と呼ばれて繁栄しながら、信長という一人の武将によって百済寺は灰燼(かいじん)に帰した。だがその寺が、江戸時代に再興されてこうして甦っている。たとえ伽藍は消えてしまっても、おそらく地域に住む人びとのこころのなかには、ずっと百済寺が生きつづけていたのだろう。そして、寺の再興を願う人びとの気持ちが結実して、全滅した寺が復活した。~
~『百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海』五木寛之(講談社、2004)~

【赤門】

【表参道】


【通用門】

【不動堂】

【下乗の碑】

【本坊喜見院(ほんぼうきけんいん)へ】


【本坊喜見院】

【本坊庭園】




【本坊喜見院】


【本堂・遠望台へ】

【遠望台】
~百済からの渡来人たちは、ここから比叡山のはるか向こうを眺めて、自分たちの故郷をしのんだといわれている。そのため、展望台と呼ばずに「遠望台」と呼ぶのだそうだ。~
~百済からの渡来人たちは、ここから比叡山のはるか向こうを眺めて、自分たちの故郷をしのんだといわれている。そのため、展望台と呼ばずに「遠望台」と呼ぶのだそうだ。~


【弥勒坂】

【弥勒半跏石像】


【仁王門】
~草鞋(わらじ)が正面を向いて参拝者を迎える。そして、二体の金剛力士像は、正面を向かずに門の中に納まって互いに向き合っている。そういえば東大寺の南大門の仁王像が、やはり向き合っていたことが思い出される。~
~草鞋(わらじ)が正面を向いて参拝者を迎える。そして、二体の金剛力士像は、正面を向かずに門の中に納まって互いに向き合っている。そういえば東大寺の南大門の仁王像が、やはり向き合っていたことが思い出される。~

【仁王 吽形像】

【仁王 阿形像】


【弁天堂】

【鐘楼】

【本堂】
国の重要文化財。
国の重要文化財。





【三所権現社】

【仁王門】

【表門】

【本坊の猫】
重鎮の雰囲気。
重鎮の雰囲気。


【御朱印】
すてき
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