おおしまじんじゃおくつしまじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
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【近江國 式内社巡り】
大嶋神社・奥津島神社(おおしま~・おくつしま~)は、滋賀県近江八幡市北津田町にある神社。大嶋神社と奥津島神社はともに式内社で、旧社格は県社。祭神は大嶋神社が大国主神、奥津島神社が奥津島比売命。木造大国主座像等が国指定の重要文化財。
社伝によると、第13代成務天皇が滋賀高穴穂宮に即位の際(131年)、武内宿禰に勅して勧請したのが始まり。天智天皇が大津宮にて治世の折(668年)、皇后の病気平癒を祈願すると平癒し、その後祈願所となった。平安時代には『日本三代実録』864年条に当社神宮寺の阿弥陀寺開基に関する記述がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 蒲生郡 大島神社 小」、「近江國 蒲生郡 奥津島神社 名神大」にそれぞれ比定されている。両社はもともと別の場所に鎮座していたが、室町時代の1361年以前に同地に鎮座された。往時は蒲生郡北部一帯の産土神として斎祀されていた。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR琵琶湖線・近江八幡駅の北北西6kmの田園地帯の外れ、琵琶湖東岸の津田山(標高424m)の東麓にある。広々とした境内は木々が間引いてあって明るく、南側に大きな池がある。社殿(拝殿と本殿)は瑞垣で全体を囲われていて、その外側に拝所がある造り。瑞垣内には社殿の左右両側に境内社がある。地域に根付いた神社のようで、東側入口も西側入口も同じぐらい大きく、どちらからでも入りやすい。
今回は、近江國の式内社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
※ネットの情報だと、宮司さん宅にて御朱印を拝受できるとのことだったが、参拝当日は社務所裏の大きな建物の中で集会が開かれており、宮司さん宅は不在であったため、御朱印は拝受できず。残念...涙
境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐって参道を進む。
参道右側の<神馬>。
参道左側の<手水舎>。
階段を数段上がって内玉垣内の神域に入ったところ。右手に社殿、左手に神池がある。
<社殿>全景。東西に長い瑞垣に囲われた、インパクトのある独特な造り。
瑞垣の南側、拝殿の左側にある<祓戸大神>。
<拝殿>全景。瑞垣中央に中門があり、そこが拝所になっている。
<中門>全景。左右に<狛犬>。
中門から見える<本殿>内部。
社殿の左側にある<社務所>。
瑞垣の左側から瑞垣内に入り、中門後ろの<本殿>。
本殿左側にある境内社2社。表札がないため個別の名称は不明だが、日觸神社・日吉神社・四宮神社・喜佐伊神社・行司神社のうちの2つ。
西側瑞垣の建物。
本殿右側にある境内社3社。こちらも表札がないため個別の名称は不明だが、日觸神社・日吉神社・四宮神社・喜佐伊神社・行司神社のうちの3つ。
東側瑞垣の建物。
境内西側にある<白山神社>。
社務所の南側を通って西方向に進むと、もう一つの<手水舎>がある。
境内西端入口の<鳥居>と<社号標>。東側入口とどちらが正規の入口か分からないぐらい立派。
西側入口を出て、少し南に行った公道脇の小高い場所にある<愛宕神社>。
境内中央に戻って、社殿の南側にある大きな<神池>。桜が美しい。
この日、桜が満開。まるで大歓迎を受けているみたいで気持ちが良い~♪ (o^―^o)
最後に、独特な造りが印象的な<社殿>全景。(^▽^)/
近江国蒲生郡の式内社です。大嶋神社と奥津嶋神社の両方が祀られており、奥津嶋神社は名神大社として記載されています。
《鳥居と社号碑》
二社の名前が連名で書かれてます。
《手水舎》
《拝殿》
《由緒書き》
最初此の地には大嶋神社のみが鎮座していたようです。
☆チェックポイント!!
幣殿が縦横に長ーく作られています。
備前国の神社なんかでは祝詞殿というものがありましたが果たして…
池もあります。
琵琶湖の再現?
《参集殿》
普段は無人です。
《祓戸》
《裏参道》
表参道から裏参道までまっすぐ道が伸びており、その途中右側に本殿があります。
《白山神社遥拝所》
《裏参道手水舎》
《裏参道の鳥居》
裏参道側に駐車場があります。
また、神主さんのお宅もこちらにあり、伺えば御朱印をいただけます。
歴史
大島興津島量神社は、延喜式神名帳加列の名神であり、興津島神社は名神大に、大島神社は名神小に列せられている。両者は各々別の処に鎮座されていたと思われるが、いつ頃からか同境に鎮座されている。永仁六年神宮村人の起請文には既に両社と記してあり、延文五年比丘尼法心の寄進状には大島郷奥島庄内の田地を大島息津島両社の神供料として寄進する旨が記されてあるので、それより以前に両社が一境の鎮座である事を、知る事が出来る。本社の創祀は、社伝には成務天皇高穴穂宮遷都の時に、大臣竹内宿禰勅を奉じて勧請するとあり、その後天智天皇志賀大津宮に御在世の折、皇后さま御不予により当社に平癒の祈願されたところ忽に霊験があったので、勅使をご差遺になり奉賽の幣帛を奉られた事や、同七年天皇御幸の時に又幣帛を奉られた事など伝える。島中より所産の薁が天智天皇の御代より、長寿無病の霊果と称えられ長い間、朝廷への貢ものの嘉例などと考えられるは、大津京時代には、比の島と皇室との縁故の深かった事を知る事が出来る。大島神社は大国主命を祭神とし、稱徳天皇神護景雲元年神封一戸を充てられ、興津島神社は奥島比売命を祭る大同元年神封一戸を充てられた事が、新抄格勅符にあり、三代実録貞観元年の条には、近江国従五位下興津島神従五位上を授け奉るとあり、それ以前より神位を授けられていた事を知ることが出来る。大正三年県社に加列、同四年神饌幣帛料供進指定となる。社宝として大般若経六百巻、古文書二百余通を蔵す。
名称 | 大嶋神社奥津嶋神社 |
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読み方 | おおしまじんじゃおくつしまじんじゃ |
参拝時間 | なし |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大国主命,奥津島比売命 |
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本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 大島興津島量神社は、延喜式神名帳加列の名神であり、興津島神社は名神大に、大島神社は名神小に列せられている。両者は各々別の処に鎮座されていたと思われるが、いつ頃からか同境に鎮座されている。永仁六年神宮村人の起請文には既に両社と記してあり、延文五年比丘尼法心の寄進状には大島郷奥島庄内の田地を大島息津島両社の神供料として寄進する旨が記されてあるので、それより以前に両社が一境の鎮座である事を、知る事が出来る。本社の創祀は、社伝には成務天皇高穴穂宮遷都の時に、大臣竹内宿禰勅を奉じて勧請するとあり、その後天智天皇志賀大津宮に御在世の折、皇后さま御不予により当社に平癒の祈願されたところ忽に霊験があったので、勅使をご差遺になり奉賽の幣帛を奉られた事や、同七年天皇御幸の時に又幣帛を奉られた事など伝える。島中より所産の薁が天智天皇の御代より、長寿無病の霊果と称えられ長い間、朝廷への貢ものの嘉例などと考えられるは、大津京時代には、比の島と皇室との縁故の深かった事を知る事が出来る。大島神社は大国主命を祭神とし、稱徳天皇神護景雲元年神封一戸を充てられ、興津島神社は奥島比売命を祭る大同元年神封一戸を充てられた事が、新抄格勅符にあり、三代実録貞観元年の条には、近江国従五位下興津島神従五位上を授け奉るとあり、それ以前より神位を授けられていた事を知ることが出来る。大正三年県社に加列、同四年神饌幣帛料供進指定となる。社宝として大般若経六百巻、古文書二百余通を蔵す。 |
体験 | おみくじ御朱印祭り |
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