こくやにじ・こうやにじ|天台系単立長命寺塔頭
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方穀屋尼寺のお参りの記録一覧
絞り込み

日吉神社まで戻りすぐ横にある穀屋寺へ。穀屋尼寺とも呼ばれ、文字通り尼寺。寺領から上がる米を納めたところとも言われている。また「穀屋」は「寺社の修理や再建費を募る、つまり勧進する者が拠点とした所」であるとされ長命寺穀屋もまた長命寺復興の勧進を担ったようであり、2009年穀屋寺の倉庫から、「長命寺参詣曼荼羅)」三点、「熊野観心十界曼荼羅」二点、「古文書」千点が発見され、長命寺の中でもその役割の大きさをうかがい知ることが出来ます。また尼寺つまり比丘尼が勧進の主役を担ったのも全国的に珍しいそうです。また古文書・穀屋文書には徳川幕府や大奥との関係資料も多数発見され、「穀屋は紛争により宝永4年(1707)長命寺本堂左下にあったのが参道入り口脇に移される。堂舎修理は寺僧が行うようになり、穀屋の権利は縮小され、さらに東西に分裂する。西穀屋の頭分は代々慈光名を継承し、一時中断していた将軍家への御札献上を復活させ、尼僧が参府して御札を献上し、将軍家より白銀が下賜され、扶持をいただく。」とある。元々長明寺本堂近くにあったのが紛争で参道入り口に移されたようで権限も大幅に削られたようであるが、幕府・大奥との繋がりは続いていたようです。長命寺観音像の打敷は2代将軍秀忠から代々、大奥より寄進される慣例になっていると由来に記され、。18世紀半ば頃からは長命寺本尊の開帳・開扉のたびごとに、本丸大奥から紋付打敷が寄進されるようになるなど長命寺と幕府との関係に大きく貢献した寺院と言えるでしょうね。
現在はその面影も・・・😅ひっそりとしておりました。お堂前でお詣りです。


最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ



















