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おつきたいしゃ

小槻大社
滋賀県 手原駅

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について御朱印
-
ありません

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soo_cyan
soo_cyan
2025年12月22日(月) 10時52分04秒
4569投稿

栗東市に入り、小槻大社へ。町中の小槻神社も良いけどこちらの静けさと凛とした空気感がある神社もまた良きです😊境内は古墳群があり、どうやら古墳一帯に神社が建てられたよう。近辺の古墳群は栗太郡の古代豪族である小槻山君の関係史跡とされているのでその守り神として創建されたのかな?主祭神は於知別命でこちらは小槻神社と同じ。大己貴命は付近にあった楽音寺との関係で日吉大社から勧請・合祀されたものだそうです。境内進んで行くと拝殿手前にうさぎさん😍大己貴命の関係でうさぎさんが神紋にもなっているとのこと。宇治上神社などと同じく真向の兎ですね😊授与品にもうさぎのお守りが三種類あり、お詣り後、宮司さん宅にて大きいウサギと普通のお守りを拝受してきました🤗残念ながら御朱印はされていないとのこと。兎の御朱印あれば人気出るだろうけど・・・😅

小槻大社(滋賀県)

小杖社石標

小槻大社(滋賀県)

参道

小槻大社(滋賀県)

由緒

小槻大社(滋賀県)

社号標

小槻大社(滋賀県)

大鳥居

小槻大社(滋賀県)

扁額

小槻大社(滋賀県)

龍王社鳥居

小槻大社(滋賀県)

古墳群由緒

小槻大社(滋賀県)

小槻大社古墳群石標

小槻大社(滋賀県)

龍王社

小槻大社(滋賀県)

同社殿

小槻大社(滋賀県)

これが古墳なのかな?

小槻大社(滋賀県)

古墳群案内

小槻大社(滋賀県)

参道

小槻大社(滋賀県)

これも古墳っぽい

小槻大社(滋賀県)

うさぎさん😍

小槻大社(滋賀県)

稲荷社鳥居

小槻大社(滋賀県)

稲荷社

小槻大社(滋賀県)

拝殿

小槻大社(滋賀県)

社務所?

小槻大社(滋賀県)

由緒

小槻大社(滋賀県)

山王社

小槻大社(滋賀県)

小槻大社(滋賀県)

小槻大社(滋賀県)

本殿。重文

小槻大社(滋賀県)

本殿案内

小槻大社(滋賀県)

祇園社

小槻大社(滋賀県)

竈社

小槻大社(滋賀県)

お馬さん

小槻大社(滋賀県)

手水舎

小槻大社(滋賀県)

授与品

小槻大社(滋賀県)

宮司宅地図

小槻大社(滋賀県)

北参道鳥居

小槻大社(滋賀県)

同社号標

小槻大社(滋賀県)

うさぎ🐇のお守り大🤗

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歴史

創紀年代不詳であるが、この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る式内社(栗太郡八座の内)である。小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで一千年に近い歳月を宮廷社会に官務家として確固たる位置を維持した。『三代実録』貞観五年十二月三日条に従五位下、元慶六年十月九日条に従五位上、『日本紀略』延喜十一年二月二日条に従四位下の神位が小槻大社に授与されたことが見える。中世になると近江の守護佐々木の分流がこの青地庄に居を構え、地名を氏とした。この青地氏は小槻大社をことのほか崇敬し、青地基氏は本殿内陣安置の元宮殿を弘安四年十月に新造している。康永二年四月青地重頼は四脚門を建立し(礎石だけ残して建物はなく、墨書銘がある棟木は現本殿の力棰に転用されている)、さらに同年十二月重頼は上書して正一位の神位授与を官に請うた次第が『園太暦』康永三年八月二十九年条に詳記されている。この申請は裁可されて、正一位の神位が小槻社に授けられた。永正十六年青地元真は現本殿を再建している。青地氏は佐々木の没落とともに運命を共にしたが、近世は膳所藩主より田三反歩を寄進され、以降先規に任せこれの安堵を受けた。明治九年村社となり、明治十四年郷社に列せられた。配祀神大己貴命は何時合祀されたか史料をもたないが、境内を接して平安時代に栄えた名刹天台宗音楽寺(廃寺となりその跡に境内社十二将神社がある)があり、その関係から日吉西本宮が勧請合祀されたのではないかと推察される。

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小槻大社の基本情報

住所

滋賀県栗東市下戸山1200

行き方

JR草津線「手原駅」から徒歩30分

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名称

小槻大社

読み方

おつきたいしゃ

通称

小杖社

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレあり
電話番号077-552-9048
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》於知別命
《配》大己貴命
創建時代

不詳

創始者

不詳

本殿

一間社流造

文化財

本殿(重要文化財),木造男神坐像2躯(重要文化財)

ご由緒

創紀年代不詳であるが、この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る式内社(栗太郡八座の内)である。小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで一千年に近い歳月を宮廷社会に官務家として確固たる位置を維持した。『三代実録』貞観五年十二月三日条に従五位下、元慶六年十月九日条に従五位上、『日本紀略』延喜十一年二月二日条に従四位下の神位が小槻大社に授与されたことが見える。中世になると近江の守護佐々木の分流がこの青地庄に居を構え、地名を氏とした。この青地氏は小槻大社をことのほか崇敬し、青地基氏は本殿内陣安置の元宮殿を弘安四年十月に新造している。康永二年四月青地重頼は四脚門を建立し(礎石だけ残して建物はなく、墨書銘がある棟木は現本殿の力棰に転用されている)、さらに同年十二月重頼は上書して正一位の神位授与を官に請うた次第が『園太暦』康永三年八月二十九年条に詳記されている。この申請は裁可されて、正一位の神位が小槻社に授けられた。永正十六年青地元真は現本殿を再建している。青地氏は佐々木の没落とともに運命を共にしたが、近世は膳所藩主より田三反歩を寄進され、以降先規に任せこれの安堵を受けた。明治九年村社となり、明治十四年郷社に列せられた。配祀神大己貴命は何時合祀されたか史料をもたないが、境内を接して平安時代に栄えた名刹天台宗音楽寺(廃寺となりその跡に境内社十二将神社がある)があり、その関係から日吉西本宮が勧請合祀されたのではないかと推察される。

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