ひょうずたいしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
兵主大社ではいただけません
広告
兵主大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年05月29日(日)
参拝:2022年4月吉日
【近江國 式内社巡り】
兵主大社(ひょうず・たいしゃ)は、滋賀県野洲市五条にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。主祭神は八千矛神(大国主命)、配祀神は手名椎神、足名椎神。正式名称は「兵主神社」だが、通常は「兵主大社」と称する。当社の「八ヶ崎(やつがさき)神事」は日本遺産になっている。
社伝によると、第12代景行天皇の御代128年に天皇は皇子・稲背入彦命に命じ大和國穴師(奈良県桜井市、現・穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ崇敬した。近江國高穴穂宮への遷都に伴い、穴太(滋賀県大津市穴太、元兵主)を社地と定め遷座した。のち欽明天皇の御代(539年~571年)播磨別らが琵琶湖東岸に移住する際、再び現在地に遷座し、奈良時代の718年社殿を造営したとされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 野洲郡 兵主神社 名神大」に比定されている。また、1180年には花山天皇から正一位勲八等兵主大神宮の勅額を下賜されている。中世には「兵主」は「つわものぬし」と読めることから武家の信仰を受け、源頼朝による神宝の寄進、足利尊氏による楼門の造営があり、江戸時代には徳川将軍家から社領の寄進等、厚い保護を受けた。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR琵琶湖線・野洲駅の北方6kmの耕作地の端の平地にある。境内はかなり広くて、境内南端の鳥居からだと、北に300m、西に150m進んでやっと社殿に到達する。立派な楼門、広い参道、大きな社殿も素晴らしいが、有料拝観の庭園も見事。平安時代後期の作庭と言われ、国も名勝、日本遺産にもなってある。花が好きな人には気合の入った美しい花手水も必見。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、参拝者は自分以外に数人見掛けた。
※神田神社(真野)の宮司さんに当社をおすすめされたが、その言に違わず素晴らしい神社だった。(o^―^o)
境内南東端入口全景。
<一之鳥居>と<社号標>。鳥居の先の果てが見えない。スゴイ!(^_^;)
ここからしばらく、参道の左側は中学校、右側は公道。
ここからしばらく、参道の左側は中学校、右側は公道。
一之鳥居から北に300m(!)進むと参道は左に曲がる。正面は<二之鳥居>で、<太鼓橋>を渡って進む。
二之鳥居の左側の<狛犬>。かなり古いものなのか、修復跡がすごい。
二之鳥居の右側の<狛犬>。こちらは劣化が穏やか。
右側の<狛犬>の後ろにある<手洗御前社>。
二之鳥居をくぐって正面に建つ<翼殿付楼門>。戦国時代1550年の再建。社伝によると足利尊氏の寄進とされている。
右翼殿の上部には扁額が掛かっていて、左から順に<戸津神社>、<狩上神社>、<矢放神社>とある。
左翼殿には<矢取神社>、<浅殿神社>、<二ノ宮神社>とある。二ノ宮神社以外はいずれも聞き慣れない社号。氏子地域ごとの地名かな?(。´・ω・)?
楼門をくぐると、社殿まで広く長く真っ直ぐな参道が伸びている。
楼門をくぐってすぐ右手に鳥居が立っている。大きな境内社<乙殿神社>。社号標には「村社 乙殿神社」とある。元は別の場所にあって合祀したのかな。
<乙殿神社>の手水舎。
<乙殿神社>の社殿は瑞垣で囲われ、中門前で参拝する形式。
<乙殿神社>の社殿。右側の小社は<天満宮>。
参道を100mほど進むと右側にある<社務所>。近くには参集殿、斎館、参拝者休憩所(庭園資料館)がある。
御朱印および庭園の参観受付はこちら。
御朱印および庭園の参観受付はこちら。
さらに進み参道左側にある<手水舎>。
とっても豪華で綺麗な<花手水>。
<拝殿>全景。江戸時代後期1843年の再建、1941年改築。間口十七間三尺、奥行四間三尺、入母屋造脇拝殿付。
左右に翌殿が広がり、造形も美しく立派。
左右に翌殿が広がり、造形も美しく立派。
拝殿前左側の<狛犬>。願い事と住所・氏名が書かれた白い紐が巻かれている。当社独特の風習なのかな。
拝殿前右側の<狛犬>。怪我人みたいでちょっと可哀想な見た目...(^_^;)
拝殿中央部全景。二重屋根。
拝殿から振り返った眺め。長い参道が抜けていて気持ち良い。
拝殿に向かって右手のエリアを見て廻る。こちらは「名勝 兵主神社庭園」の石碑と入口。ただ、実際の入口は拝殿に向かって左側(この後方)にある。
庭園入口の左側にある<神饌所>。
旧護摩堂の左側には<神武天皇遙拝所>と<祓所>。
祓所の左側にある<旧護摩堂>。不動明王立像を安置。江戸時代までは神仏習合が進んでいて、仏教色を残す多くの宝物が残存しているとのこと。
本殿を囲む瑞垣の外側に建つ境内社。<両皇太神宮>かな。
拝殿後ろの瑞垣で囲われた<本殿>。江戸時代前期1643年の再建。間口三間、奥行三間三尺、一間社流造。
ここで社務所に向かい、社務所から拝殿を望む。御朱印を拝受し、庭園の参観券を購入。
拝殿の左側にある小さな木製扉をくぐって庭園内に入る。
楼門と本殿を結んで軸とすると、現在の庭園はその南側のみだが、平安時代後期の作庭当時は北側にも対称形の庭園が存在したとのこと。
この位置からだと、大きな社殿全体が一枚の画角に入る。(^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。