御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

ぎちゅうじ

義仲寺のお参りの記録(1回目)
滋賀県膳所駅

かおりさんのプロフィール画像
かおり
1403投稿
投稿日:2025年04月08日(火)
参拝:2025年3月吉日
3年前に膳所駅にて京阪線から国鉄に乗換をした。
帰宅後に、膳所駅前に芭蕉の句碑があること、又、膳所駅近くに芭蕉のお墓がある事を知り、後悔していた3年間であった。
そして、やっと念願の義仲寺に。

さて、こちらのお寺であるが、案内の方にお聴きすると、昔は天台宗三井寺末寺であったそうなのだが、現在は単立とのこと。
調べていくと、昭和40年、ある大物右翼が三井寺・円満院から土地を買い取り、個人の私財を投じて廃寺と化した寺を修繕したということなのだ。
ここは、木曾義仲、松雄芭蕉も眠る場所。現在は国の指定の史跡となっている。
で、私は、この右翼の大物とは誰か?調べてみた。
三浦義一であった。

孫である歌人の三浦柳さんが著した本は迫力に満ちている。

晩年、義一は滋賀県大津市にある義仲寺の再興に力を尽くした。これは「ひむがし」の同人であった保田與重郎(文芸評論家)からの相談が発端であった。義仲寺は木曾義仲の葬られた寺であるが、妻であった巴御前が、その後尼僧としてこの地に住み着き、義仲の菩提を弔ったので、巴寺とも呼ばれた。
その約500年後、義仲の人柄と運命にかねがね魅かれていた芭蕉は、字bンを義仲の墓の隣に葬るように遺言して大阪で亡くなった。門下らは芭蕉の亡骸を夜舟に乗せて淀川を上り義仲寺に至り、木曽塚の右に芭蕉を葬ったという。
それゆえ義仲寺は芭蕉の墓所でもある。ところが、その名刹が荒廃して、県市とも再建維持を諦めていることを知った保田は、義一に援助を求めた。義一はそれを聞いて、まず私費で義仲寺を買い取り、数々の難問を抱えた寺を一つの独立した寺として建物を改築し、復興を果たしたのだった。

木曽殿の背中合わせの寒さかな

境内にある素朴な石にこのような句が彫られていた。義一はこれに深く心を打たれて、その後、義仲と芭蕉についての接点を考えたと語っている。彼は、墓所を共にし、一体となったかのような義仲の武勇と芭蕉の詩魂に、歌の始祖である須佐之男命の「剣魂歌心」を感じたのだ・
義仲寺再建の落成式において、義一は次のように述べている。
「芭蕉と義仲は一体であります。それは、一つの日本人の表を裏を表したというわけです。剣の魂と歌の心は本当は一つ。これが日本の本当の道であり、日本人の神髄であると思っています。当年これが非常に歪められてきていますが、剣魂、歌心、この一つの姿が日本の姿である。また今後これが明らかにされることが、私は日本のまた立ち直る根本だと信じておるわけです」

義一の献詠である。

としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月

日本の心。それを感じる、寺であった。


夢叶い 芭蕉恋しや 木瓜の花
義仲寺の御朱印
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
義仲寺の投稿をもっと見る15件
コメント
お問い合わせ