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ちょうあんじ|時宗松月山

長安寺
滋賀県 上栄町駅

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大津三十三所観音霊場第27番

おすすめの投稿

soo_cyan
soo_cyan
2025年08月17日(日) 22時21分12秒
4433投稿

つづいて関寺舊跡の長安寺。関寺自体がかなりの大伽藍だったようですのでこの辺りの寺院はだいたい舊跡になりそうですが・・・😅こちらが関寺舊跡と言われる由縁は参道途中にある石塔でしょう。かつて関寺が大地震で倒壊したとき、再興の際に清水寺から遣わされた牛が迦葉佛の化身ということで藤原道長・頼道親子に源倫子が結縁すべく訪れたほどの霊牛なのだそう。昨年の大河ドラマ時期に知っていたら飛んできてたかもしれません🤣
境内は階段をまあまあ昇ることになるので少し高台のところにあり眺望よく、銀杏や楓の深緑もきれいなので紅葉シーズンはここも良いかも。御本尊の阿弥陀さんは行基作とも平安後期の作とも言われているのでぜひ一目拝ませていただきたいものです😊

長安寺(滋賀県)

踏切の先に今度は階段😲石碑は長安寺西国三十三所とあります。

長安寺(滋賀県)

獣魂碑

長安寺(滋賀県)

長安寺宝塔。重文。

長安寺(滋賀県)

同由緒。藤原頼通建立らしい

長安寺(滋賀県)

更に階段

長安寺(滋賀県)

本堂。旧六条の歓喜光寺(現山科区)本堂を移築とのこと。

長安寺(滋賀県)

一遍上人ゆかりの地だそう

長安寺(滋賀県)

表札

長安寺(滋賀県)

牛さんです

長安寺(滋賀県)

永代供養塔

長安寺(滋賀県)

玉姫龍神

長安寺(滋賀県)

埋もれ百体地蔵。比叡山麓に埋もれていたのを百体移したそう。

長安寺(滋賀県)

同由緒

長安寺(滋賀県)

小野小町供養塔

長安寺(滋賀県)

謡曲「関寺小町」と牛塔

長安寺(滋賀県)

一遍上人供養塔。右に奥様の超一房の供養塔もあったみたい・・・

長安寺(滋賀県)
長安寺(滋賀県)

稲荷社

長安寺(滋賀県)

キツネさんと馬さんがなぜ?

長安寺(滋賀県)

「眼佛」と見えますがもう一文字ありそう?

長安寺(滋賀県)

立派な銀杏に大津の町並み

長安寺(滋賀県)

ここも紅葉シーズンありですね😊

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タンホイザ
タンホイザ
2023年04月30日(日) 23時15分41秒
3830投稿

創建不詳。
かつて逢坂の関の近くにあった関寺が前身とされ、その跡地に建てられたとされる。
976年の地震で倒壊した関寺を復興する時に資材を運搬し、1025年に工事が終わると死んだ一頭の牛がいた。
この霊牛を供養して祀ったのが牛塔(宝塔)である。鎌倉時代の建立で重文指定されている。

長安寺の本殿・本堂

本堂

長安寺(滋賀県)
長安寺(滋賀県)

宝塔

長安寺のその他建物

宝塔

長安寺(滋賀県)
長安寺(滋賀県)

埋もれ百体地藏(比叡山焼討ちで比叡山麓に埋もれていたものを移したもの)

長安寺(滋賀県)

埋もれ百体地藏(比叡山焼討ちで比叡山麓に埋もれていたものを移したもの)

長安寺(滋賀県)

埋もれ百体地藏(比叡山焼討ちで比叡山麓に埋もれていたものを移したもの)

長安寺(滋賀県)

小野小町供養塔

長安寺(滋賀県)
長安寺(滋賀県)

稲荷社

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名称

長安寺

読み方

ちょうあんじ

通称

関寺霊蹟

参拝時間

境内自由

電話番号077-522-5983
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@sekidera-choanji.com
ホームページhttps://sekidera-choanji.com/
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詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号

松月山

宗旨・宗派時宗
創建時代

元亀年間(1570~1573)

開山・開基

大通庵主声阿弥陀仏

文化財

重要文化財 長安寺宝塔一基(関寺の牛塔)

ご由緒

史料上、関寺の初見は、天禄元年(970)に源為憲が著した「口遊」に日本三大仏として奈良東大寺・河内智識寺の毘盧遮那仏そして関寺の弥勒仏が記載されています。この関寺の弥勒物仏は、金色五丈もある大仏であったとしていますが「扶桑略記」によれば、天延4年(976)の大地震により大規模な被害を受け関寺の諸堂宇も倒壊し、五丈の弥勒仏は腰から上が破損したと伝えています。
長安寺蔵「関寺縁起」によれば、長和年間(1012~1017)に恵心僧都源信が倒壊したままの関寺を嘆き悲しみその復興を発願し、その事業を弟子の延鏡が遂行することになったと記されています。
この関寺再興の際には、資材運搬のために清水寺から使わされたという一頭の牛がいました。その牛は関寺檀越などの霊夢に迦葉仏の化身であるという夢告があったというのです。この夢告の噂はすぐに巷に広まり、万寿2年(1025)5月16日には、その霊牛と結縁すべく藤原道長と妻・倫子、藤原頼道、藤原教通などが次々と参詣しその数、数万に及んだと「関寺縁起」「左経記」などに記されています。5月30日、その牛は完成した御堂の周りを三巡りした後、6月2日に入滅し、その亡骸を関寺の後ろの山に埋葬したというのです。その牛を埋葬した場所に藤原頼道が建立したものが現在の牛塔であると伝承されています。
また、関寺と時宗との関係は、弘安6年(1284)に時宗宗祖一遍上人が入洛に際しこの関寺に逗留しています。このことについて国宝「一遍聖絵」第7に再建中の関寺堂舎の様子が描かれており、関寺にある池(關清水)の中洲に踊り屋を設け、一遍上人や時衆が七日間の踊り念仏を行っています。
さて、松月山長安寺は、元亀年間、関寺の一隅に太通庵主声阿弥陀仏によって開山されたと考えられています。その頃関寺には三昧、芸能に関わる聖が多く存在していたようです。そのため長安寺もその関りから創建されたのではないでしょうか。中世には大津市内にあった金塚道場荘厳寺(廃寺)の末寺でしたが、近世に入り、荘厳寺の衰退とともに豊臣氏によって京五条坂に創建された吉水道場法国寺(創建時は豊國寺)の末寺となりました。また、東海道の宿場町大津宿の関係もあり、人々の往来も多く酒肴に席としても利用されていました。その賑わいは「東海道名所図絵」にも描かれています。
 近世末頃には、境内から湧き出る豊富な水を市街地に供給する長安寺水道を有するなど栄えていました。
 栄枯盛衰、時代の変遷の影響を受けながらもその法灯を今に伝えています。
 現在の境内からは大津市内が一望できるとともに、織田信長ゆかりの百体地蔵、西国三十三所観音霊場、宗祖一遍上人供養塔、超一房供養塔、長安寺滝跡や関寺堂塔の礎石などがあり、関寺の面影を今に伝えています。

体験重要文化財伝説
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