せみまるじんじゃ
蝉丸神社滋賀県 大谷駅
参拝/24時間
御朱印
御朱印の左上には琵琶の印が押されています。
蝉丸神社は蝉丸大神をまつっている神社で、蝉丸大神とは音曲を始めとする諸芸事の神とされています。
また蝉丸は平安時代前期の歌人、琵琶法師として知られています。
授与場所
御朱印は三尾神社の授与所にて拝受できます。
創祀は天慶9年の頃、醍醐天皇(901年~922年)の第四皇子蟬丸を主神として、万治元年、東海道逢坂の街道を守護し災害を防ぐ神、猿田彦命、豊玉姫命を合祀する。謡曲や平家物語でお馴染みの蟬丸は「流泉」「啄木」なる琵琶の祖神として博く崇敬され、平安時代には音曲芸道に携わる芸人達が当蝉丸宮により免許を受け興行した。現在の社殿は、萬治3年に建立され、本殿傍の小宮社は、往古一里塚町(現・大谷町)に鎮座されていた皇大神宮が、明治11年の国鉄線路敷設に伴い遍宮された。
蝉丸神社に参拝しました。
[御祭神]
蝉丸大神 ・猿田彦命
[御由緒]
蝉丸大神は音曲を始めとする芸道の祖神、猿田彦命は街道の守護神として尊崇信仰されている神社。
社伝によれば、創祀は天慶9年(946年)で、盲目の琵琶法師で百人一首にも登場する歌人、蝉丸(せみまる)を主神として祀ることから、平安時代末期より芸能にたずさわる人々に崇敬される。それらの人々の興業には、当神社による免許が必要とされたという。
江戸時代の万治3年(1660年)、現在の社殿が造替された際に、街道の守護神である猿田彦命を合祀している。
本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口四尺 奥行一間
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間五尺
〔その他〕手水舎 神輿庫 社務所
境内社(摂社・末社)
皇大神宮社
主な祭礼
祭礼日
5月 第3日曜日
蝉丸神社は、逢坂峠沿いに三社あります。
京都に近い方から、こちら蝉丸神社(京阪電車 大谷駅そば) 、その次に関蝉丸神社上社、そして一番京都から離れている、関蝉丸神社下社の三社からなります。
今日は、関蝉丸神社下社、関蝉丸神社上社、そして最後にこちら蝉丸神社の順に参拝を致しました。
三社とも専用の駐車場はございません。
下社は京阪電車 上栄町駅から歩いて5分程です。最後の蝉丸神社は、大谷駅が最寄りとなりますが、上社は下社と蝉丸神社の間にあります。
上社の最寄り駅は、下社と同じ上栄町駅になります。下社からは、歩いても10分程です。
また上社から最後の蝉丸神社までも、坂は続きますが、歩いても10分程ですので、最後まで逢坂峠を歩いて参拝致しました。
下社を出て上社をめざす(大津から京都に向かって歩く)と、途中から安全に歩ける歩道が無くなり、反対車線側にしか歩道はありません。徒歩で参拝される方は、面倒でも下社前の横断歩道を渡るか、国道1号線の分岐地点の信号を渡るかして歩き、上社付近に押しボタン式横断歩道がありますので、そちらを利用してまた横断し、上社に参拝をお勧めします。
上社からは両側に歩道があります。
社頭にある銀杏の葉が真っ黄色になり、黄色い絨毯のようで綺麗でした。
近くにある老舗の鰻料理屋さんから、美味しそうな香りが漂い、たくさんの観光客で賑わっていました。
社頭 社号標
銀杏の葉の絨毯
参道 階段手前にある狛犬 右側
大きなお口😊
左側
階段を登ります
鳥居⛩
神輿 壹基
神輿庫
参道 奥に拝殿
手水舎
手水舎の屋根瓦
拝殿
拝殿奥に本殿
拝殿屋根瓦
本殿
本殿の案内書き
御朱印は三尾神社⛩へ とあります。
本殿内
本殿内 狛犬右側
左側
本殿から見た拝殿の扁額
なんて書いてあるんだろう?
「・・神」
皇大神宮社
右側の狛犬
あまり見たことないお姿
後ろ姿
ピンカールが🦱いっぱい😳
左側の狛犬
後ろ姿
手水鉢
今一度、階段上から見た銀杏の葉の絨毯
銀杏の木
鰻料理屋さんの良い匂いに釣られて、お店に行きましたが、観光バスでの団体さま、個人のお客さんで溢れており、何時間も待たなきゃならない感じでしたので、残念ながら諦めました。😣
鰻〜食べたかったなぁ。🥲
逢坂峠道
(滋賀から京都へ向かって)
峠道壁面にある大津絵
「藤娘」
「車石」
「蝉丸」これやこの ゆくも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
名称 | 蝉丸神社 |
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読み方 | せみまるじんじゃ |
通称 | 大谷の蝉丸さん、蟬丸神社 |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 077-522-3044(三尾神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》蝉丸大神,猿田彦命 |
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創建時代 | 天慶9年(946) |
本殿 | 〔本殿〕一間社流造 間口四尺 奥行一間 〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間五尺 |
ご由緒 | 当社は天慶9年(946)蝉丸を主神として祀られております。蝉丸は盲目の琵琶法師とよばれ音曲芸道の祖神として平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され当宮の免許により興行したものです。その後、万治3年(1660)現在の社が建立され、街道の守護神猿田彦命と豊玉姫命を合祀してお祀りしてあります。 |
体験 | 祈祷御朱印 |
概要 | 蝉丸神社(せみまるじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社である。近くの関蝉丸神社と併せて蝉丸神社と総称される場合もある。 蝉丸神社には神職はおらず、三尾神社の神職が蝉丸神社の宮司を務めている。蝉丸神社の御朱印は三尾神社の社務所にて授与される。 百人一首(第十首)「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば創祀は天慶9年(946年)の頃、延喜帝第六十代醍醐天皇(901年~922年)の第四皇子蟬丸を主神として、万治元年(1654年)東海道逢坂の街道を守護し災害を防ぐ神、猿田彦命、豊玉姫命を合祀しています。謡曲や平家物語でお馴染みの蟬丸は「流泉」「啄木」なる琵琶の祖神として博く崇敬され、平安時代には音曲芸道に携わる芸人達が当蝉丸宮により免許を受け興行したものです。 現在の社殿は、萬治3年(1660年)に建立されました。また、本殿傍の小宮社は、往古一里塚町(現・大谷町)に鎮座されていた皇大神宮が、明治11年の国鉄線路敷設に伴い遍宮されたものである。 毎年、1月3日曜日に...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「蝉丸神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%9D%89%E4%B8%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99921079 |
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