さきたまじんじゃ
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前玉神社ではいただけません
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前玉神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月16日(木)
参拝:2020年9月吉日
前玉神社(さきたま~)は、埼玉県行田市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、前玉彦命(さきたまひこ)、前玉比売命(さきたまひめ)の2柱。社殿は浅間塚古墳の上に鎮座している。また社名は「埼玉」の地名の語源と言われる。
創建は不詳。当社は埼玉古墳群内に鎮座し、本殿も古墳群の方向に立っていることから、古墳群の首長層が当社における古代祭祀集団と推定する説がある。なお社名は、『正倉院文書』にも「武蔵国前玉郡」の表記がみられ、埼玉の地名の由来とされている。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「武蔵国 埼玉郡 前玉神社二座」と記載されている。社伝によると、忍(おし)城中にあった浅間社を勧請してからは「浅間社」と号し、鎮座する古墳は富士山に見立てられていたという。初め古墳上の神社は「上ノ宮」、中腹にある神社は「下ノ宮」とされていたが、明治に入り上ノ宮は「前玉神社」、下ノ宮は「浅間神社」と定められたとのこと。明治維新後、近代社格制度では郷社に列した。
当社は、JR高崎線・吹上駅の北東4kmの平地にある。周りは基本住宅街だが、「さきたま古墳公園」の一部といえる場所にある。県道77号線(古墳通り)沿いの入口から参道を進み社務所の周りまでは平地だが、社殿は島のようにポツンと盛り上がった古墳(浅間塚古墳)の上に建っている。社殿の裏にも古墳があって、他の神社とは違った印象を生み出している。
今回は武蔵国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも参拝者が数人訪れていた。
創建は不詳。当社は埼玉古墳群内に鎮座し、本殿も古墳群の方向に立っていることから、古墳群の首長層が当社における古代祭祀集団と推定する説がある。なお社名は、『正倉院文書』にも「武蔵国前玉郡」の表記がみられ、埼玉の地名の由来とされている。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「武蔵国 埼玉郡 前玉神社二座」と記載されている。社伝によると、忍(おし)城中にあった浅間社を勧請してからは「浅間社」と号し、鎮座する古墳は富士山に見立てられていたという。初め古墳上の神社は「上ノ宮」、中腹にある神社は「下ノ宮」とされていたが、明治に入り上ノ宮は「前玉神社」、下ノ宮は「浅間神社」と定められたとのこと。明治維新後、近代社格制度では郷社に列した。
当社は、JR高崎線・吹上駅の北東4kmの平地にある。周りは基本住宅街だが、「さきたま古墳公園」の一部といえる場所にある。県道77号線(古墳通り)沿いの入口から参道を進み社務所の周りまでは平地だが、社殿は島のようにポツンと盛り上がった古墳(浅間塚古墳)の上に建っている。社殿の裏にも古墳があって、他の神社とは違った印象を生み出している。
今回は武蔵国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも参拝者が数人訪れていた。
県道33号線(古墳通り)沿いにある、境内入口の<一の鳥居>と<社号標>。鳥居は、江戸時代前期の1676年建立。
一の鳥居の左隣が駐車場で、そこに1本だけ立っている<イヌマキ>の巨木。推定樹齢600年、樹高20m、目通り幹周5.5mで、埼玉県最大の槙とのこと。御岳山信仰の奉納植樹の御神木で、幹の北側中心部の空洞には木曽御嶽神社の石碑が置かれている。
一の鳥居をくぐると、古木並木の参道が続く。参道両側に立つ<狛犬>は年季が入っていて古そう。
つづいて<二の鳥居>。この先は広場になっているが、まっすぐ進む。
右側にすぐ現れる<社務所>。御朱印はこちら。
つづいて右側には<手水舎>。彫刻は非常に凝っていて、全体として重厚で年季が入っている。
手水はコロナで使用禁止だが、手水盤には水が張ってあって、素朴な花が浮かべられている。たぶん自分が初めて見た<花手水>。花に疎い自分でも、綺麗だなと思ったので写真をパチリ。
一段高くなった場所の手前に<三の鳥居>。
階段を数段上がって、すぐ右側にある<浅間神社>。忍城から勧請されたとされ、江戸時代までは<浅間神社・下之宮>と呼ばれていた。
階段を数段上がって、左方向に進んだところにある<天神社>(左)と<恵比寿大黒天社>(右)。
2つの境内社の上を見上げると、メインの社殿が小山の上に建っている。
数十m進むと、社殿前の階段に辿り着く。両側に立つ燈籠は、江戸時代前期の1697年に氏子衆によって奉納されたものとのこと。それぞれに『万葉集』の「埼玉の津」の歌が刻まれている。
階段を登り切ると、すぐに<拝殿>正面。江戸時代までは<浅間神社・上之宮>であった。拝殿の彫刻もなかなかきれい。
拝殿の後ろにある<本殿>。小山の山頂が狭いので、本殿の覆屋は拝殿に直結している。
三の鳥居の左側にある<龍泉池>。
社殿の建つ小山(浅間塚古墳)の裏手の様子。盛り上がっているのが古墳。
手水舎と三の鳥居との間を右方向に進むと<明治神社>がある。
<明治神社>は、明治時代に埼玉地区の神社を合祀し、16柱を祀っている。
手水舎の反対側(境内左手)にある<神楽殿>。その右側からも境内に入ることができる。
Yahooカーナビが裏道を指示したせいで、神楽殿横から境内に侵入してしまった...(反省)。
すてき
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惣一郎1269投稿
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