ひめみやじんじゃ
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姫宮神社ではいただけません
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姫宮神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月17日(金)
参拝:2020年9月吉日
姫宮神社は、埼玉県南埼玉郡宮代町にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は多記理姫命(たきりびめ)、市杵島姫命(いちきしまひめ)、多記津姫命(たぎつひめ)の3柱。
社伝によると、桓武天皇の孫・宮目姫が下総国に赴く途中、当地でなくなり、のちに慈覚大師円仁が宮目姫を祀ったことが当社の始まり。このことから創祀の時期は円仁が遣唐使から帰国した847年から864年の間とされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「武蔵国 埼玉郡 宮目神社」と記載があり、その論社となっている。なお他にも3社論社があり、埼玉県熊谷市の高城神社、埼玉県久喜市の神明神社、埼玉県加須市の宮目神社(玉敷神社の境内社)がある。
江戸時代には当社は旧百間村の総鎮守とされ、現在の宮代町の地名は旧百間村の総鎮守「姫宮神社」の「宮」と、旧須賀村の総鎮守「身代神社」の「代」が語源になっているとのこと。
当社は、東武伊勢崎線・姫宮駅の北1kmの平地、伊勢崎線の線路の近くの、耕作地が広がるのどかなエリアの住宅が少し集まった場所にある。境内は南北に細長く、敷地内には集会所があり、<ザ・村の鎮守>といった感じ。社殿の近くには古墳があったりする。
今回は武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者はいなかった。
社伝によると、桓武天皇の孫・宮目姫が下総国に赴く途中、当地でなくなり、のちに慈覚大師円仁が宮目姫を祀ったことが当社の始まり。このことから創祀の時期は円仁が遣唐使から帰国した847年から864年の間とされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「武蔵国 埼玉郡 宮目神社」と記載があり、その論社となっている。なお他にも3社論社があり、埼玉県熊谷市の高城神社、埼玉県久喜市の神明神社、埼玉県加須市の宮目神社(玉敷神社の境内社)がある。
江戸時代には当社は旧百間村の総鎮守とされ、現在の宮代町の地名は旧百間村の総鎮守「姫宮神社」の「宮」と、旧須賀村の総鎮守「身代神社」の「代」が語源になっているとのこと。
当社は、東武伊勢崎線・姫宮駅の北1kmの平地、伊勢崎線の線路の近くの、耕作地が広がるのどかなエリアの住宅が少し集まった場所にある。境内は南北に細長く、敷地内には集会所があり、<ザ・村の鎮守>といった感じ。社殿の近くには古墳があったりする。
今回は武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者はいなかった。
境内南端にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居には<正一位 姫宮大明神>の扁額が掛かる。
鳥居をくぐって前方を望む。左側の大きな<御神木>の枝ぶりが良い感じ。
参道左側の<手水舎>。
<拝殿>全景。古そうに見えるが、手入れが行き届き実はきれい。
<拝殿>正面。簡素だが、ちゃんと彫刻も入っている。
久々に読めない扁額。普通なら<姫宮社>だが、とてもそうは読めない...(^_^;)
社殿の左奥にある<稲荷社>。ちゃんと祭神の説明書きがある。
社殿の右奥にある<香取社・鹿島社>と<天神社>。
天神社の右側に建っている<三峯社>。
三峯舎の右側に建っている、社殿がひと回り大きい<八幡社>。八幡社の前には、古墳跡と思われる土の盛り上がりがある。
八幡社から見た<社殿>全景。拝殿と同じぐらいの大きさがある<本殿>には、その上にさらに覆屋が建っている。
<社殿>全景。大きな神社ではないが、いまでも大事にされている印象。
すてき
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惣一郎1269投稿
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