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静御前の墓(光了寺跡)ではいただけません
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しずかごぜんのはか(こうりょうじあと)

静御前の墓(光了寺跡)

埼玉県 栗橋駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

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ドリルうさぎ
2020年12月04日(金)
361投稿

栗橋駅の観光スポットでもある静御前のお墓にお参りしました。
隣がショッピングストリートになっていて夜でも明るいです。
後に整備された墓石や境内のため歴史的な古さは感じられませんが、地元の方が大切にしているのが伝わる場所でした。

静御前の墓(光了寺跡)のお墓

静御前の墓。埋葬された当時は木が植えられたのみだったそうです。

静御前の墓(光了寺跡)の山門

入口。茨城県古河市に移転した光了寺(静御前が亡くなられた当時は高柳寺)の跡地だそうです。

静御前の墓(光了寺跡)の山門

入口。お墓の入口はお寺のように門と階段がありますが、隣のショッピングゾーンクラッセくりはしから入ると段差がなく車いすでも大丈夫です。

静御前の墓(光了寺跡)の歴史

静御前の墓の説明板。

静御前の墓(光了寺跡)の手水

手水舎。夜は明かりが灯ります。

静御前の墓(光了寺跡)の自然

大銀杏が見事です。

静御前の墓(光了寺跡)の建物その他

墓地の隣はクラッセくりはしというショッピングエリアになっています。パン屋、唐揚げ屋、魚屋、雑貨店などがあり、池と休憩用テーブル・ベンチがあります。

静御前の墓(光了寺跡)の周辺

栗橋駅自由通路にある源義経と静御前のイラスト看板。顔はめパネルになっていますが、現在は元のイラストのお顔がはめられています。美男美女ですね。近くにゲーム『義経英雄伝』の静御前イラストも掲示されていましたが、無断転載禁止とあったので投稿は控えます。

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歴史

源義経の恋人静御前の墓地。
観光史跡となっています。
埋葬された当時は高柳寺(当時は天台宗)でした。高柳寺は後に現在の茨城県古河市へ移転し、浄土宗光了寺(こうりょうじ)と改宗・改称しています。

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静御前の墓(光了寺跡)の基本情報

住所埼玉県久喜市栗橋中央1−2−7
行き方
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名称静御前の墓(光了寺跡)
読み方しずかごぜんのはか(こうりょうじあと)
ホームページhttps://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/rekishi_dayori/rekishi02.html

詳細情報

宗旨・宗派
ご由緒

源義経の恋人静御前の墓地。
観光史跡となっています。
埋葬された当時は高柳寺(当時は天台宗)でした。高柳寺は後に現在の茨城県古河市へ移転し、浄土宗光了寺(こうりょうじ)と改宗・改称しています。

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