真言宗智山派
妙楽寺のお参りの記録一覧
コメントで話してて亡くなった祖母の話がしたくなったので、祖母か仲良くしてたお寺で書きます。
祖母の話なので自分用です。
明治43年、K家に生まれた祖母。
子供の頃、祖母の父が亡くなったか別れたかで、祖母の母が実家に帰ることになり、そのとき祖母はA家に養女に出されました。A家では「勉強するなら働け」と、ずっと働きっぱなし。裸足で寒い。クワで足を切っても寒さで痛くなかったとのことでした。
吉見百穴という近所の観光名所も、この近所では遠足コースでしたが、86才のとき連れていってもらったのが初めてだったそうです。
方々にお使いに出されて、帰りが遅くなって山の中を泣きながら帰った。
それで女の人はほとんど乗っていない自転車に乗り出して、みんなにいじめられた。
そして東京の酒悦に子守りとして奉公に出される。
でもそのとき休みの日に小遣いをもらい浅草で遊んだのが、すごく楽しかったそうです。
他にも話がありますが第三者に話せない内容なので割愛。
結婚して子供にも恵まれるが、旦那さんと子供と死別。
そのとき相続した祖母の持っているお金目当てに、最初に養女に出されたA家が、無理やり祖母を自分の息子と結婚させる。
息子2人(父と叔父)に恵まれるも、夫は別に家庭を持ってしまい、お金も取られ、食べていけないので、近所の農家の仕事をやらせてもらうようになる。
(夫のひどい話は生々しいので割愛)
その頃の祖母は、きつい性格だが、たくさん働くので皆何も言えない状況。「おばさん」と言われると「おばさんじゃないよ、私はXXって言うんだよ」等。
父が働き出してから、母が嫁にきて、孫もでき、叔父も結婚して、祖母はとても幸せになった。
交通事故で入院したときも、入院中もかかわらず、「今が一番幸せ」と見舞いにきた近所の人に言ったらしい。
そんなことは一言も口に出して言わない祖母だったが、孫ができて、自分の家があり、お金にも困らなくなって、とても幸せだったようです。
寝たきりになったときも、母に直接「ありがとう」と言わなかったが、まわりの人には「よくやってくれる」と言ってたらしい。
最後はほとんどなにも食べられなくなっていたが、亡くなる朝、牛乳をコップ1杯全部飲んで母を驚かせた。
そしてしばらくして見ると…
母は「お父さん、お父さん!」と事務所にいる父を慌てて呼んだ。
私の家族の中では、母にありがとうという気持ちで、牛乳を全部のんだんだねという話になってます。
以上が祖母の話です。
全部は書いてないけど、ここまで付き合っていただいた方ありがとうございました。
信心深い祖母で私が子供の頃、般若心経を空で言えるようになったのも祖母のお陰でした。
だからその頃ホトカミがあったら投稿してたんじゃないかな笑
だから祖母の代わりに投稿。
延命地蔵様ありがとうございました。
昨日、原馬室の愛宕神社の投稿を予定外の3回しているのですが、実はその前に、近くの観音堂へもおうかがいしてました😊
少し離れているのですが、妙楽寺の境外仏堂っぽいのでこちらに投稿させていただきます。
ブランコもある。
本堂から右を見たところ。
聖徳皇太子
445年続く獅子舞いの説明。
ほーら原馬室。いいところです😄
菩提寺の常勝寺の帰りに、亡くなった祖母がこちらのおばさあさんと仲良くさせていただいていたとのことで、妙楽寺に行ってきました。
全景。
すっきりした気持ちのいいお寺。
ご本尊は延命地蔵様です。
行けてよかったです。
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