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成身院 百体観音堂(さざえ堂)ではいただけません
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成身院 百体観音堂(さざえ堂)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月26日(日)
参拝:2023年11月吉日
日本に三大さざえ堂のひとつです。
会津の三匝堂、太田のさざえ堂、そしてこちらのさざえ堂。
会津のさざえ堂とまではいきませんが、一方通行で三階建になっています。
成身院は檀家も住職も居ないお寺ですが、地域の方々によりそれはそれは手厚く管理されています。
運動公園入り口の綺麗なお花畑に気をとられ、仁王門や本堂を通りすぎてしまいました💦
会津の三匝堂、太田のさざえ堂、そしてこちらのさざえ堂。
会津のさざえ堂とまではいきませんが、一方通行で三階建になっています。
成身院は檀家も住職も居ないお寺ですが、地域の方々によりそれはそれは手厚く管理されています。
運動公園入り口の綺麗なお花畑に気をとられ、仁王門や本堂を通りすぎてしまいました💦
仁王門前の鮮やかな花畑。地域の方がお手入れしてました。
コスモス、ひまわりが可愛く揺れます。
観光農業センターの駐車場に車を止めて、こちらで拝観料300円を払い、係の方から説明をうけます。
百体観音堂は鍵をあけて入ります。出たら閉めてね〰︎
百体観音堂は鍵をあけて入ります。出たら閉めてね〰︎
横から行きます
途中の斜面には桜が咲き、みかんが成っています。
みかん?柑橘系のこれ。
観音堂が一段上に見えます。
由緒書き
天明三年(1783)浅間山の大噴火により1500人以上の死者が出て、多くの遺体が利根川から流れきた。村人総出で700人もの遺体を収容し、手厚く埋葬し地蔵堂を建立した。
犠牲者の供養のためにできた観音堂なんですね。
途中には火災、日露戦争の不況、大正八年(1919)は住職死亡により無住の寺になり、太平洋戦争の供出などなど、幾つもの難に襲われましたが、地域の奉仕、観音像の寄進により現在の形になったそうです。
すごいです。👍
天明三年(1783)浅間山の大噴火により1500人以上の死者が出て、多くの遺体が利根川から流れきた。村人総出で700人もの遺体を収容し、手厚く埋葬し地蔵堂を建立した。
犠牲者の供養のためにできた観音堂なんですね。
途中には火災、日露戦争の不況、大正八年(1919)は住職死亡により無住の寺になり、太平洋戦争の供出などなど、幾つもの難に襲われましたが、地域の奉仕、観音像の寄進により現在の形になったそうです。
すごいです。👍
百体観音堂
細かい彫り
天井画
中の様子です。
日本三大さざえ堂の紹介
中央は聖観世音をご本尊にお祀りする護摩堂です。
日本三大さざえ堂の紹介
中央は聖観世音をご本尊にお祀りする護摩堂です。
一階は秩父三十四観音
角の模様は青い
二階へ
門の板絵
二階中央は三仏 阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来がお祀りされています。
室町時代造立の三仏様は三仏堂から移転されてきまた。
室町時代造立の三仏様は三仏堂から移転されてきまた。
二階は坂東三十三観音
さらに上に
三階は西国三十三観音
馬頭観音が目を惹きます。
天井画もあります。
児玉町の文化財
百体観音堂
大日如来坐像
鰐口
直径180センチ!写真じゃわからない!でかい!
直径180センチ!写真じゃわからない!でかい!
鰐口の下にあります。
こちらを踏んで、右遶三匝(時計回りに三巡りする礼法)が始まります。
こちらを踏んで、右遶三匝(時計回りに三巡りする礼法)が始まります。
ハサミ紙には嬉しい言葉が書いてあります💐
すてき
投稿者のプロフィール
断捨離1353投稿
スタンプラリーじゃないんだから、と心を痛めながら始めたご朱印集め。
しかし宝徳寺のご住職から、それでもいいんです、お寺や神社にどんどんお詣りしてください、って言われて吹っ切れた。
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。