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熊野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月03日(金)
参拝:2020年11月吉日
熊野神社(上里町)は、埼玉県児玉郡上里町堤にある神社。式内論社。祭神は、奇御木野命(くしみけぬ)、奇稲田姫命(くしいなだひめ)、豊受姫命(とようけひめ)の3柱。
創建は不詳。江戸幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』では、当社を堤村の鎮守とし、別当の東昌院が伝えるには延喜式神名帳に載る「今木青坂稲見荒御魂神社」であるというが、証拠がないと記載されている。ただし、周辺には平安時代の住居跡があることや、当社の現在地は東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座していることから、当社勧請前から当地に何らかの神社が存在したことは否定できないとしている。このことから当社は現在でも、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今木青八坂稲実荒御魂神社 小」の論社とされている。
当社は、JR高崎線・神保原駅の南西2kmほどの平地の住宅街の中にある。境内はけっこう広いが、神社として使われているのはその西側のエリアのみ。残りは木々も少なくだだっ広いスペースになっている。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者は見かけなかった。
創建は不詳。江戸幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』では、当社を堤村の鎮守とし、別当の東昌院が伝えるには延喜式神名帳に載る「今木青坂稲見荒御魂神社」であるというが、証拠がないと記載されている。ただし、周辺には平安時代の住居跡があることや、当社の現在地は東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座していることから、当社勧請前から当地に何らかの神社が存在したことは否定できないとしている。このことから当社は現在でも、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今木青八坂稲実荒御魂神社 小」の論社とされている。
当社は、JR高崎線・神保原駅の南西2kmほどの平地の住宅街の中にある。境内はけっこう広いが、神社として使われているのはその西側のエリアのみ。残りは木々も少なくだだっ広いスペースになっている。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者は見かけなかった。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。真っ赤な木製六脚鳥居が印象的。
鳥居をくぐったところ。境内左側(西側)の道路に沿って、鳥居から社殿までの参道が伸びている。
参道から境内右手を望む。がらんとした広場になっている。敷地がこんなに広いのに、なんで鳥居、参道、社殿が左端に寄っているのかは不明...(^_^;)
参道の中ほどに<狛犬>が立っている。
左側の<狛犬>。かなり新しそう。
右側の<狛犬>。平成狛犬、古くても昭和狛犬といったところか。
<拝殿>全景。昭和の瓦葺は味はないが、横幅もしっかりある拝殿。
<拝殿>正面。軒の中央、両端の獅子の彫刻はなかなか味わいがある。
中央の獅子の彫刻アップ。力強い。
<社殿>全景。拝殿も本殿も側面はトタン製。
拝殿後ろの<本殿>。中は全く見えないタイプ。
本殿後ろの石製小祠群。
すてき
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惣一郎1269投稿
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