むさしにのみや かなさなじんじゃ
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楽しみ方武蔵二宮 金鑚神社の御由緒・歴史
歴史詳細情報
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が創建
創建は景行天皇41年(西暦112年)に遡ります。
日本武尊が東国遠征の折、倭姫尊(ヤマトヒメノミコト)より授けられた草薙剣とともに火打ち金を携え、それを御霊代として山中に納め、天照大神(アマテラスノオオミカミ)と素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀ったのが創始とされています。
その後、欽明天皇2年(西暦574年)に、その働きが称えられ日本武尊自身が合祀されました。
現在では、主祭神を天照大神と素戔嗚尊の二柱とし、配祀神を日本武尊としておまつりしています。

「金鑚神社(かなさなじんじゃ)」名称の由来
平安時代中期に編纂された格式である延喜式によると、当社は元々「金佐奈神社(かなさなじんじゃ)」とも呼ばれていました。
御室山の背後にある御嶽山で鉄銅が採掘されたことから、金砂で銅の産出を威霊として崇めたという言い伝えがあります。
その産出する砂鉄が昆虫の蛹(さなぎ)のような形の塊で「金さなぎ」が語源と伝えられているようです。
渡来人との関わり
金鑚神社周辺の地域には鉱山採掘の技術をもつ氏族が居住しており、主に渡来系の氏族であったとされています。
当神社の北方の台地はかつての大古墳集墳地帯であり、その古墳の形式が古代大陸諸国、主に高句麗や百済で広く行われた形式であったようです。
これらに葬られているのが、朝鮮半島からの帰化人であったといいます。
具体的には、高麗・新羅・百済の人々とされており、東国(関東地方や、東海地方、即ち今の静岡県から関東平野一帯と甲信地方)、あるいは武蔵国にはこうした亡命移民ともいうべき人々の姿が広く見られています。
日本書紀によれば、天智天皇5年(666年)に百済の男女2,000人あまりが東国に移り、13年(684年)には僧侶23人が武蔵国に配置、次いで持統天皇元年(687年)には新羅の僧侶22人が武蔵国に配置され、田と扶持米が与えられたといいます。
持統天皇4年(690年)には新羅の韓奈末許満ら12人を武蔵国に配置したそうです。こうして短期間の移住が認められるのは、武蔵国に未開の地がまだまだ多く、開拓を進めるためであったと推測されます。
例えば現在も、金鑚神社から少し離れた隣町(本庄市児玉町)に「金屋」と呼ばれる地域があります。この場所で金鑚神社付近の集団が採掘、生成した精銅を原料として、鉄製農具が製造されていたようです。
| ご祭神 | 《主》天照大神,素盞嗚尊,《配》日本武尊 | |
|---|---|---|
| ご神体 | 御室山 | |
| 創建時代 | 景行天皇41年 | |
| 創始者 | 日本武尊 | |
| ご由緒 | 日本武尊が火鑽金を御霊代として、天照大神,素盞嗚尊をお祀りしたのが初まりとされています。 |
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