むさしにのみや かなさなじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
武蔵二宮 金鑚神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月30日(火)
参拝:2020年11月吉日
金鑚神社(かなさな~)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。武蔵國二之宮(論社)。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は天照大神、素戔嗚尊、配祀神は日本武尊。当社は拝殿のみを有し、神体山を直接拝する古代祭祀の形式を有する。旧官幣社・国幣社でこの形式をとるのは、当社以外には諏訪大社(長野県)と大神神社(奈良県)のみ。
社伝によると、日本武尊が東征の際に伊勢神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣と火鑚石(火打石)のうち、火鑚石を当社背後の御室山に御霊代として納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが始まり。平安時代の801年には坂上田村麻呂が蝦夷征討に向かう途中で当社に参詣し戦勝祈願をした。国史の初見は『日本三代実録』で862年に「金佐奈神」の神階奉授、官社に列し、同年神階昇叙の記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「武蔵國 児玉郡 金佐奈神社 名神大」に比定されている。また、武蔵国二之宮と称され、当地の地名も「児玉郡神川村二の宮」となっているが、通説では武蔵国二之宮は二宮神社(東京都あきる野市二宮)とされているほか、大國魂神社(東京都府中市)では西殿に五之宮として祀られ、同社の例祭・くらやみ祭りでは、当社は武蔵国五之宮として現在でも参加している。平安時代後期には、源義家が奥州征伐にあたり戦勝祈願に訪れている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が篤く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られた。江戸時代になると、徳川幕府から朱印地30石を下賜され、別当の一乗院とともに栄えた。明治時代の近代社格制度の下では、国幣中社に列格した。
当社は、JR八高線・丹荘駅の南西5kmの、国道462号線沿いの山の麓にある。国道沿いに大きな鳥居があり、200mほど登った場所に駐車場があり、さらに徒歩で100mなだらかな坂道を進むと社殿がある。自然あふれる広々とした境内は神仏混淆の時代の名残りが感じられ、入口付近にある多宝塔が国指定の重要文化財であったりする。また、本殿を持たない珍しい祭祀形態も興味深い。
今回は、武蔵國の式内社(名神大)、旧官幣中社、武蔵国二之宮、別表神社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、七五三の時期ということもあり、家族連れや夫婦連れ、登山に来ている人(当社は登山口にもなっているので)、神社好きおひとり様など、参拝者は割と多くいた。
社伝によると、日本武尊が東征の際に伊勢神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣と火鑚石(火打石)のうち、火鑚石を当社背後の御室山に御霊代として納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが始まり。平安時代の801年には坂上田村麻呂が蝦夷征討に向かう途中で当社に参詣し戦勝祈願をした。国史の初見は『日本三代実録』で862年に「金佐奈神」の神階奉授、官社に列し、同年神階昇叙の記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「武蔵國 児玉郡 金佐奈神社 名神大」に比定されている。また、武蔵国二之宮と称され、当地の地名も「児玉郡神川村二の宮」となっているが、通説では武蔵国二之宮は二宮神社(東京都あきる野市二宮)とされているほか、大國魂神社(東京都府中市)では西殿に五之宮として祀られ、同社の例祭・くらやみ祭りでは、当社は武蔵国五之宮として現在でも参加している。平安時代後期には、源義家が奥州征伐にあたり戦勝祈願に訪れている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が篤く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られた。江戸時代になると、徳川幕府から朱印地30石を下賜され、別当の一乗院とともに栄えた。明治時代の近代社格制度の下では、国幣中社に列格した。
当社は、JR八高線・丹荘駅の南西5kmの、国道462号線沿いの山の麓にある。国道沿いに大きな鳥居があり、200mほど登った場所に駐車場があり、さらに徒歩で100mなだらかな坂道を進むと社殿がある。自然あふれる広々とした境内は神仏混淆の時代の名残りが感じられ、入口付近にある多宝塔が国指定の重要文化財であったりする。また、本殿を持たない珍しい祭祀形態も興味深い。
今回は、武蔵國の式内社(名神大)、旧官幣中社、武蔵国二之宮、別表神社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、七五三の時期ということもあり、家族連れや夫婦連れ、登山に来ている人(当社は登山口にもなっているので)、神社好きおひとり様など、参拝者は割と多くいた。
国道沿いにある<一の鳥居>と<社号標>。 ※美しい紅葉は2020年のもの。2021年はこれからかも。
参道を少し進むと<二の鳥居>。クルマやバイクは左側をしばらく進むと駐車場がある。
駐車場から見た<参道>。
参道右側の高い場所には、国の重要文化財に指定されている<多宝塔>がある。戦国時代の1534年に、近隣の阿保郷丹荘の豪族・阿保弾正全隆が寄進したもの。
参道をさらに進むと、銀杏の黄色が溢れているエリアに入る。
こちらが、銀杏のじゅうたん。
参道が緩やかに右に曲がって登って行くと、右側に<社務所>が現れる。
社務所前を通り過ぎると、社殿に向かう手前に<神橋>がある。
神橋の先にある<三の鳥居>。神域の入口になっている。
鳥居をくぐって進み、左側にある重厚な<手水舎>。
参道の突き当りにある<神楽殿>。
神楽殿の手前で右を向くと、階段の上に東面して建つ<拝殿>がある。
<拝殿>全景。落ち着いた雰囲気のシックな外観。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
拝殿の右側の建物群。
拝殿に向かって右後ろにある、<御神木>と思しき大銀杏。
<社殿>全景。拝殿右側には昇殿祈祷の階段がある。
当社では山自体が御神体なので、<本殿>はないはずだが、拝殿の後ろにはこの建物が立っている。門と塀だけかな。
拝殿前から、拝殿の左側を望む。紅葉がきれい。
拝殿の左側の敷地にある境内社群。
拝殿の左側の敷地には、動物捕獲用の檻らしきものがある。見れば「イノシシ捕獲用の箱わな」らしい。(^_^;)
さらに奥に進むと、ハイキングコースの登山口になっていて、当社<奥宮>や特別天然記念物の<鏡石>などがある。今日は時間がないのでパス。
こちらが拝殿左側敷地の境内社群。
あらためて<社殿>全景。
七五三の昇殿祈祷をしていた家族が、拝殿前に出てきて記念撮影をしている。
帰路につき、神橋付近の景色。赤・黄・緑のコントラストが美しい。
最後に<社務所>。御朱印はこちら。(^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。