ながはたべじんじゃ
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長幡部神社ではいただけません
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長幡部神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月02日(木)
参拝:2020年11月吉日
長幡部神社(ながはたべ~)(上里町)は、埼玉県児玉郡上里町長浜にある神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は天羽槌雄命(あめのはづちお)。
創建は不詳だが、「長幡部」の名から機織りの技術を持った集団が祀った神社と考えられている(常陸国の延喜式内社「長幡部神社」(茨城県常陸太田市)と同じ)。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 長幡部神社 小」に比定されている。『神社明細帳』によると、当初近隣の別の地に鎮座し、賀美郡の総社、当村の氏神とされていたが、平安時代後期1110年に洪水で社地が流され現在地に遷座している。戦国時代の1582年に織田信長家臣・滝川一益と北条氏政らの北条軍が当地で合戦をした(神流川の戦い)ため、兵火により当社の社殿や古文書が焼失している。江戸幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』では、当社は「長幡五所宮」と称し村の鎮守であるとし、延喜式神名帳にある長幡部神社であるとされものの、今は最小社となり古社とは思えないが、長幡郷中に鎮座しその地名も知れ渡っているので、おそらく式社だろうと記されている。
当社は、JR八高線・丹荘駅の北北東3.5kmちょっとの、田園地帯の中の住宅がゆるく集まったエリアにある。敷地はそこそこ広いが、草木がほとんどなく、せっかくの式内社なのに、あまり神社らしい雰囲気はない。大きな社務所のような建物があるが、地域の集会所みたい。社殿の裏手は児童公園になっている。
今回は、武蔵國の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には人っ子一人見かけなかった。
創建は不詳だが、「長幡部」の名から機織りの技術を持った集団が祀った神社と考えられている(常陸国の延喜式内社「長幡部神社」(茨城県常陸太田市)と同じ)。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 長幡部神社 小」に比定されている。『神社明細帳』によると、当初近隣の別の地に鎮座し、賀美郡の総社、当村の氏神とされていたが、平安時代後期1110年に洪水で社地が流され現在地に遷座している。戦国時代の1582年に織田信長家臣・滝川一益と北条氏政らの北条軍が当地で合戦をした(神流川の戦い)ため、兵火により当社の社殿や古文書が焼失している。江戸幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』では、当社は「長幡五所宮」と称し村の鎮守であるとし、延喜式神名帳にある長幡部神社であるとされものの、今は最小社となり古社とは思えないが、長幡郷中に鎮座しその地名も知れ渡っているので、おそらく式社だろうと記されている。
当社は、JR八高線・丹荘駅の北北東3.5kmちょっとの、田園地帯の中の住宅がゆるく集まったエリアにある。敷地はそこそこ広いが、草木がほとんどなく、せっかくの式内社なのに、あまり神社らしい雰囲気はない。大きな社務所のような建物があるが、地域の集会所みたい。社殿の裏手は児童公園になっている。
今回は、武蔵國の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には人っ子一人見かけなかった。
境内南端入口全景。左側は地区集落センター、右側は一般住宅。
南面する<鳥居>。
鳥居の手前右側にある<社号標>。
鳥居をくぐって、左側にある<手水舎>。
<社殿>遠景。社殿の左奥は畑、右奥は児童公園。
<社殿>全景。そこそこの大きさはあるが、簡素な建物。
社殿内部を覗くとこんな感じ。合祀された社殿もあるみたい。
社殿の左側にある、唯一の境内社<稲荷社>。
鳥居の左手にある<遥拝所>。何の遥拝所なのかな?
鳥居の南側ののどかな風景。だだっ広い畑が広がる。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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