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熊野神社ではいただけません
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熊野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月01日(水)
参拝:2020年11月吉日
熊野神社(神川町)は、埼玉県児玉郡神川町八日市にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は、家都御子神(けつみこ)、御子速玉神(みこはやたま)、熊野夫須美神(くまのふすみ)の熊野三神。
創建は不詳。『明細帳』には「延喜式当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実ノ神社ナリト云伝フ」との一文があり、口碑によれば当社は町内字今城から現在地に遷座されたと伝わることから、当社が平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今城青八坂稲実神社(いまきあおやさかいなみ~) 小」の論社となっているが、論社は他にも5社ある。また延喜式内社として武蔵國賀美郡には他にも「今木青八坂稲実荒御魂神社」、「今城青八坂稲実池上神社」があり、古から当地は利根川やその支流が近く水害に遭っていることから、当地周辺には式内論社を主張する神社が多くなっている。中世以降、当社は鎌倉街道上道(かみつみち)沿いの八日市の鎮守とされ、『児玉都誌』によると、江戸時代の1713年に正一位の神階を授けられ、地頭から社領を寄付されたとのこと。
当社は、当社は、JR八高線・丹荘駅の南東1kmほどの、田園地帯の中の住宅がゆるく集まったエリアにある。旧社格の通り、境内のサイズも社殿の大きさも、<ザ・村の鎮守>といったところ。社殿がガラスで保護されているなど、大事にされているのが伝わってくるのが印象に残る。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外には人っ子一人見かけなかった。
創建は不詳。『明細帳』には「延喜式当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実ノ神社ナリト云伝フ」との一文があり、口碑によれば当社は町内字今城から現在地に遷座されたと伝わることから、当社が平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今城青八坂稲実神社(いまきあおやさかいなみ~) 小」の論社となっているが、論社は他にも5社ある。また延喜式内社として武蔵國賀美郡には他にも「今木青八坂稲実荒御魂神社」、「今城青八坂稲実池上神社」があり、古から当地は利根川やその支流が近く水害に遭っていることから、当地周辺には式内論社を主張する神社が多くなっている。中世以降、当社は鎌倉街道上道(かみつみち)沿いの八日市の鎮守とされ、『児玉都誌』によると、江戸時代の1713年に正一位の神階を授けられ、地頭から社領を寄付されたとのこと。
当社は、当社は、JR八高線・丹荘駅の南東1kmほどの、田園地帯の中の住宅がゆるく集まったエリアにある。旧社格の通り、境内のサイズも社殿の大きさも、<ザ・村の鎮守>といったところ。社殿がガラスで保護されているなど、大事にされているのが伝わってくるのが印象に残る。
今回は、武蔵國の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外には人っ子一人見かけなかった。
境内南端入口にある<鳥居>。社号標が石柱に隠れよく見えない。(^_^;)
<社号標>はこんな感じ。<指定村社 熊野神社>と書かれている。
参道左側にある<手水舎>。ブルーシートが掛かっていてそもそも使用できない。
参道右手にある<社務所>。無人だが普段から使用されているみたい。
<拝殿>全景。こぢんまりした<村の鎮守>サイズ。屋根は昭和の瓦葺。
正面扁額には<正一位 熊野大権現>と書かれている。
<社殿>全景。拝殿後ろの<本殿>はガラス張りで、普段からよく見えるようになっている。これは良い!(o^―^o)
ガラス張りの覆屋の中を覗くと、<本殿>だけでなく<神輿>も納められているみたい。
参道左手(西側)にある境内社群。
境内端に立っている<遥拝所>の石碑。何の遥拝所かは不明。
鳥居前の道は細い。鳥居と社号標を同時に写真に収めようとするとこんな感じ。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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