あんよういん|曹洞宗|若泉山
安養院のお参りの記録一覧
金鑚神社・佛母寺から少し東に行ったところ、本庄西小中学校の東側に寺社が4つ固まってる所がありまして、ちょうど良いのでこの辺を徒歩で散策してみることにしました。
まずはこの辺りの中心と思われるこのお寺から。
ご覧のように何もかもが・・・すごく・・・大きいです( ゚д゚)
本庄市で一番大きい木造建築らしい。
調べてみたところ、本庄宿の歴史的豪商の墓所が多数あるとか。
渋沢栄一の親類で、セメント王と言われた諸井恒平というセレブのお墓もあるらしい。
ちなみにこの人の長男が経団連の創始者だそうです。
・・・なるほど昔から寄進をいっぱい受けてたのね(^^;
まぁ現在でも寺院経営的にもかなり成功してるお寺なんでしょうが・・・歴史的背景を知ったらちょっと「格差の固定」とか「親ガチャ」みたいなワードが浮かんできて、自分みたいなド庶民としてはちょっと反発を覚えた(^^#
よく考えたら「因果応報」なんてモロに「親ガチャ」の仏教的解釈だよねw 昔も今も人の考えることなんてあまり変わりませんねwww
安養院という院号で呼ばれてますが、寺名は「無量寺」だそうです。 本尊は阿弥陀如来の別名の無量寿如来とのこと。
本尊の御朱印もあるらしいんですがどうもそちらは直書きのみらしく、残念ながら住職不在だったため今回は書き置きの毘沙門天のみ拝受。
奥様が対応してくださいましたがとても丁寧な方でした♪
巡礼してないのにまた七福神(^^;
今度は毘沙門天です
山門
ほんじょうかるたの石碑
かるたのネタになってる羅漢像はどうも楼門の2階にあるらしく残念ながら見られず
入って左手に石仏群
小倉山という石碑がありますが、ここの山号は若泉山というらしい・・・じゃあこれは一体??( ゚д゚)
石碑には観音様と御詠歌のようなものが彫られてます
本庄七福神の毘沙門天
宝船に乗ってます
かなり大きな楼門あり
楼門にあった仁王ですが・・・中華風の鎧着てたり武器持ってたり像容はどう考えても四天王なんだよな(・・;)
でも2体しか見当たらず、七福神の毘沙門天入れても1体足りない・・・
口もちゃんと阿吽になってるしやっぱ仁王なの?(?_?)
右手に近代的な鐘楼
「浄霊堂」となってるので納骨堂か合祀墓も兼ねてるのかも
左手に広大な墓地があり、入り口に六地蔵と単独の地蔵
こういう方々が多数眠ってらっしゃるお寺だそうなので、意外と金運隆盛に御利益あるかもしれませんw
左手に合掌仏
顔立ちや装身具の少なさを見ると観音ではなく如来のような気が・・・
右手に観音様と浄水
庫裏に通じる方にあった小石庭
隣に石塚のようなものが見えたのですが、境外のためなんだかよくわからなかった(?_?)
本堂前にもお地蔵さん
額は寺号や山号ではなく「第一義」となってます
達磨大師と梁の武帝の問答に由来する言葉で「釈迦が悟った万物の真理」みたいな意味とのこと
上杉謙信も好んだ言葉らしい
そういえばこの辺りは上杉と北条の関東攻防の最前線だし、七福神も毘沙門天が当てられてるし、謙信公とも何か関係があるのか?(・_・?)
武州本庄七福神めぐり 毘沙門天。
宗派は曹洞宗、ご本尊様は無量寿如来(阿弥陀如来)様。
JR高崎線本庄駅から徒歩15分くらいのところに居られます。
文明7年(1475年)武蔵七党の児玉党の一族本庄信明の弟藤太郎雪茂が仏門に帰依し当時の富田村というところに安入庵を営んだが、
水不足に悩まされ土地を探してこの地に移ったと伝えられています。
以後、付近は水不足に悩まされること無くなり、周辺の人々から若泉の荘と呼ばれたそうです。
堂々とした本殿と、立派な山門がありながら、近代的な鐘楼と上手く融合した境内の雰囲気が印象的でした。
とても迫力のある本堂ですね。
額が青い地色ってのが目を引きますね。
獅子の彫刻も素敵です。
鐘楼は近代的な作りになっていますね。
お地蔵さん、赤いバンダナを巻いて本堂の前に立たれております。
山門には仁王様ではなく四天王様なんですね。
カッコいいですね。
七福神の毘沙門天様です。
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