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そくしょういん|真言宗智山派岩殿山

息障院の御由緒・歴史
埼玉県 東松山駅

ご本尊不動明王
創建時代天平年間(729-749)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

当山は、真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く、天平年中(730年ごろ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中(806年ごろ)坂上田村麻呂将軍の開基によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功により息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末〜鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形文化財である。
当山の全盛期は、戦国末期から江戸時代で、その当時は、末寺百二十余か寺を数え、隆盛を極めたものである。

歴史
歴史[編集] 天平年間(729年 - 749年)、聖武天皇の開基である。後に坂上田村麻呂が蝦夷征討の成就を祈ったり、承平天慶の乱の際に平将門調伏を祈ったことから、朝廷より「障りを息(や)めさせる」という意味が込められた「息障院」の院号が与えられた[1]。 元々は「吉見観音」で知られる安楽寺の隣にあり、一つの大伽藍を形成していた[2]。 応永年間(1394年 - 1428年)に良慶が再興した際に現在地に移転した。現在地は元々源範頼の屋敷があったところである。その後は真言宗の「関東総談義所」が置かれ、300もの末寺を擁していた[1]。 ^ a b 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉...Wikipediaで続きを読む
引用元情報息障院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%81%AF%E9%9A%9C%E9%99%A2&oldid=95314533

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