たかぎじんじゃ
高城神社のお参りの記録一覧
本日は、七夕と言う事で高城神社に行ってまいりました。(七夕と高城神社に因果関係は無いw)
延喜式内社の論社と言う事でしたが、ホントに熊谷の街の真ん前にありました。駐車場が有るんだか、無いんだか?空き地は有るんだが入口に駐車場6月末日までの立看があったり(笑)よくわからなかったので、コンビニの駐車場を拝借したり。
先週に行事が有ったらしく本日は、閑散としていました。てか、ちょうど13時頃着いたので暑くて人がいない(笑)夏の一日?って感じでお詣りをしました。
何時も一の鳥居からなのですが、写真は3の鳥居と社票
3の鳥居をくぐって御本殿をみる
手水舎
御本殿、正面より
帰り、前玉神社をすっ飛ばして、古代蓮の里によりました(笑)
熊谷市にある、高城神社様にお参りさせて頂きました。
本来なら高城の高はハシゴ高です。
おみくじがとても長いですね〜
静かにお参りさせて頂きました。
神社様への入り口から撮影しました。
手水舎です。
拝殿です。
亀さんの像があります。
長いおみくじです。
六社様です
天神社様です
熊野神社様です
熊谷にある高城神社に行ってきました。
街の中にあるにもかかわらず、静かで落ち着いた神社でした。胎内めぐりもできるみたいですが、今回は時間が無くて参拝だけしてきました。今度行けたらぜひ胎内めぐりもしてみたいです。
この鳥居の手前にも大きな鳥居がありましたが、横から来たので この鳥居しかくぐれませんでした😅
けっして華美ではないけど、私は好きです。
日本一大きなおみくじがこれです。
中の棒も長かった💦
丁寧に書いてくださいました。
熊谷総鎮守、縁結びや家庭円満、育成健全の神様です😊世界一長いおみくじを引きました!運勢は「吉」👍書かれているお言葉が心に沁みました✨😊
御祭神
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
御由緒
創建は奈良時代以前と伝えられており、『延喜式神名帳』に「大里郡一座髙城神社」と記載されていることからもそのことがうかがわれる。
天正十八年(1590)豊臣秀吉による小田原の北条征伐において、忍城(現・行田市)が攻められた際、髙城神社も災禍に遭い社殿を焼失した。その後の寛文十一(1671)に再建されるのだが、それは忍城主であった阿部豊後守忠秋が「髙城神社は式内社」であることから社殿再興を図ったことがきっかけであった。この時に再建された本殿と拝殿は、今も当時の面影そのままに残されている。(なお本殿・拝殿・手水舎以外の建物は昭和二十年八月十四日の熊谷大空襲によって焼失)
神社ホームページより
手水舎
亀の石像♪
世界一長いおみくじ✨
直書き御朱印♪
御神木(樹齢800年ともいわれる巨大なケヤキ)
末社の天神社
末社の熊野社、他にも末社あります🙏
本日は日本一暑い町、熊谷市内を巡拝します。
熊谷駅から徒歩15分程。市役所の近くにあります。
参拝者は多くはないものの、地元の方々が日課のように参拝されているようで、途切れることは無かったです。
鳥居。後で調べたら、こちらは三の鳥居でした。手前に2つあったのね。
手水舎。非稼働。
社殿
扁額。古そうですね。
御神木は背が高いわけではないですが、しっかり守られています。
末社
東日本大震災復興祈願とのこと。このあたりは昔は亀だらけだったそうです。
直書きで拝受です。
本殿・拝殿・手水舎は1671年再建のものが現存。殊、拝殿の造りは特徴的で威風を放っていました。
社号標
鳥居
境内
常夜灯
拝殿
拝殿
本殿
熊野神社
熊野神社
天神社
六社
駐車場が判らず境内に停めての参拝。車を停めた場所ではなく、大通り迄戻って立派な一の鳥居が有ります。熊谷の総鎮守で式内社です。国道17号に面した一の鳥居に直径4mの茅の輪を設置して6月3日に「胎内くぐり」が行われます。秀吉の北条攻めの際に社殿が焼失しましたが、1671年に再建され、本殿・拝殿が現存します。熊谷酉の市の発祥の地であり、熊谷の地名の由来となっている熊野神社が境内社としてあるなど歴史ある神社です。書き置きですが御朱印を戴きました。
社号標
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
社号標
手水舎
天保12年製の青銅の常夜灯
拝殿
扁額
本殿
何故亀さん?
由来碑 この石は安山岩で1670年の二の鳥居のもの。破損し再建したため一部を保存
1670年製鳥居
境内社 六社(白山大神 琴平大神 八幡大神 大黒主大神 鹿島香取大神 伊奈利大神)
境内社 天神社
天神社の由緒書
境内社
熊野神社の由緒書
境内社 熊野社
御神木
【武蔵國 式内社巡り】
髙城神社(たかぎ~)は、埼玉県熊谷市宮町にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は、高皇産霊尊(たかみむすび)。
創建は不詳。社伝によると、当地周辺は荒川の扇状地内にあり、湧水が諸病に効果があるとして、古くから湧水に対する信仰がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 大里郡 高城神社」に比定されている。鎌倉時代には、当地・武蔵国熊谷郷の領主で鎌倉幕府の御家人であった熊谷直實の崇敬を受けた。安土桃山時代の1590年に豊臣秀吉の小田原征伐の際に社殿を焼失したが、江戸持時代に入り1671年に忍城主・阿部忠秋、正能親子によって再建された。熊谷郷の総鎮守とされ崇敬を集め、明治時代に入ると近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR上越新幹線・高崎線・熊谷駅の北北西700mの、中山道(国道17号線)の北側の平らな市街地にある。境内は広々としていて、社殿は大きく、古木も多く立っていて、古社の雰囲気がたっぷり。普段から地元を中心に信仰を集めているようで参拝者も多く、神職の方々も多い。
今回は武蔵国の式内社、旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、参拝者は自分以外にも、七五三などの家族連れが何組も訪れていた。
境内南端入口の<鳥居>と背の低い<社号標>。
鳥居をくぐって右側にある<手水舎>。彫刻が細かく美しい。
手水舎の彫刻が、細かく美しい。
鳥居をくぐって左手にある、立派な<御神木>。
御神木の根元には空洞ができている。
<拝殿>全景。そういえば、当社拝殿前には狛犬がいない。
狛犬がいない代わりに<ウミガメの石像>。東日本大震災の復興祈願のもの。
<拝殿>正面。年季が入った扁額。柱にも細かい彫刻。
<拝殿>左側の昇殿入口。
拝殿に向かって左手にある境内社。左から順に<伊奈利大神>、<香取大神・鹿島大神>、<大国主大神>、<八幡大神>、<琴平大神>、<白山大神>。
拝殿左側を進んで社殿周りを1周する。長い<幣殿>の後ろにある<本殿>。
本殿の裏手は広場と児童公園。古木はどれも幹が太くて大きく立派。(o^―^o)
社殿左奥から<社殿>全景。
社殿右奥から<社殿>全景。
社殿右前から<社殿>全景。旧県社格の中でも特に大きく勇壮な構え。
拝殿の左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所等の前にある<天神社>の鳥居。
<天神社>の社殿。
天神社の鳥居の左手にある<熊谷酉の市起原碑>。
天神社の社殿の左手にある<熊野神社>の鳥居と社殿。
熊谷酉の市起原碑の左手、境内南端にある鳥居付きの石製小祠。
最後に南側から<境内>全景。広々として気持ちが良い。(^▽^)/
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