いずものいわいじんじゃ
出雲乃伊波比神社のお参りの記録一覧
【武蔵國 式内社巡り】
出雲乃伊波比神社(いずものいわい~)は、埼玉県大里郡寄居町赤浜にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は須佐之男命。
創建は不詳。古くは川本村畠山に鎮座していたとされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 男衾郡 出雲乃伊波比神社」の論社となっており、他の論社としては出雲乃伊波比神社(熊谷市)がある。天喜年間(1052年~1057年)の前九年の役の際、源頼義が陸奥国に向かう途中で当社に参拝し、戦勝祈願をして白旗を奉納したことから「白籏八幡社」と改称された。戦国時代の1557年に八幡塚と呼ばれる赤浜村下河内に移転、1580年には荒川の大洪水で現在地に移転した。明治に入り、創建当初の「出雲乃伊波比神社」に復称した。
当社は、東武東上線・男衾駅の北東800mの東西にはしる県道81号線(熊谷寄居線)沿い北側にある。周囲は広々とした市街地。高台にあるが境内は平坦。境内の造りはシンプルで、県道沿いの明るい場所にある古い木製鳥居をくぐると、ほど良い距離の参道を進み、徐々に樹木が濃くなっていって、突き当りの樹木に囲まれたやや暗い場所に社殿がある。社殿周りの樹木は樹齢の長そうなものが多く、古社の雰囲気は十分にある。
今回は、武蔵国の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後で、自分以外には参拝者はいなかった。
※当社御朱印は、社殿周りに情報が記載されているわけではないが、当社の左隣にある宮司さん宅で拝受できる。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居の扁額には庇付。
見慣れない形で社号標には見えないが「延喜式内 郷社 出雲乃伊波比神社」と刻まれている。
鳥居の左手にある石碑と境内社。
その右隣にはたくさんの境内社。
鳥居をくぐって<拝殿>を望む。
参道左側の石碑群。
参道右側の<手水舎>。
参道右側の石碑群。
参道を進んで<拝殿>全景。意外と間口は広い。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。軽い彫刻あり、扁額はなし。
拝殿に向かって左手にある<神楽殿>。
神楽殿の右隣にある<八坂神社>と石製小祠。
拝殿後ろの<本殿>。
社殿近くにある<妙見社>。
拝殿を斜めから。
境内の右隣には<社務所>(御朱印対応は、境内挟んで逆サイドが宮司さん宅)。
最後に<境内入口>全景。
武蔵国男衾郡の式内社です。論社が二つあり、小被神社のすぐ裏にある方が当社です。
隣が宮司さん宅のようですが、お留守でした。
《一の鳥居》
☆チェックポイント!!
一見明神鳥居のように見えますが、足元の「根巻」とよばれる部分があり、島木と木鼻が同じ長さな上で笠木がのっています。
そして何より扁額に屋根がついてるのが特徴的です。
《由緒書き》
《手水舎》
蛇口をひねると水が出ます。
《記念碑》
《神楽殿》
《拝殿》
《本殿》
側面に変わった模様が入ってます。
《末社・八坂社》
《合祀社》
各鳥居の特徴が多数入り混じったかわった鳥居でしたね。皆さんも是非直に
東武東上線男衾駅から徒歩15分ちょいのところに居られます。
延喜式神明帳に「男衾三社」の一社として名前が記されているそうですが、度重なる災害等でその歴史を記した資料はことごとく残っていないとか。
出雲の名前があるので島根出身としては反応してしまうわけですが、イマイチその由来がよくわかんなくてちょっとモヤモヤとしてます(^-^;
質実剛健とした佇まいの落ち着いたいい雰囲気の神社ですね。
鳥居の額の彫刻が見事です。
手水舎は蛇口という潔さ。
拝殿の柱には獅子、この彫刻も良いですね。
大概ここには龍がおられますけど鳳凰なんですね。破風に居られるのはよく見ますがこの位置ってのは珍しいかも。
狛犬さんは一般的な岡崎スタイル
摂社ですね。
境内は良い雰囲気です。
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