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慈光寺の御朱印・御朱印帳
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| 参拝時間 | 納経受付:9:00〜11:50、13:00〜16:00
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| 電話番号 | 0493-67-0040 | ||
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埼玉県 比企郡 ときがわ町 に境内を構える、都幾山 一乗法華院 慈光寺、坂東三十三観音霊場札所で有名な寺院、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024.2に参拝致しました、どの様な寺院か引用を、用いて調べて見ました。山号は都幾山、院号は一乗法華院、寺号は慈光寺、宗旨 宗派は天台宗、ご本尊は 十一面千手千眼観世音菩薩、坂東三十三観音霊場 第九番札所、関東百八地蔵尊霊場 第十四番札所、白鳳 2 年鎌倉期の有力御家人・比企能員(ひき よしかず)でも知られる埼玉県比企郡の西部・ときがわ町の山中にあります。
寺伝「都幾山慈光寺実録」によると、その歴史は天武天皇の二年(673年)に興福寺の慈訓(じきん)が、都幾山に登り、その光り輝く場所(現在の観音堂)に千手観音を安置したことに遡ります、埼玉最古の寺院とも言われていますが、慈光が実際に慈訓が活動した時期より大分前となります、実質的には、宝亀元年(770年)の釈道忠(広恵菩薩)による開山が、慈光寺の歴史の始まりとされます。釈道忠は、唐招提寺を開山した唐からの渡来僧・鑑真和上の「持戒第一」と呼ばれるほどの高弟で、東国を巡錫する中、この地に一尺六丈の釈迦如来像を安置し、修学の道場を開きました。都から遠い坂東で活躍した道忠の事績は詳らかではありませんが、上野国・緑野寺(みどのでら・現在の浄法寺)の開基としても知られています。
さらに延暦二年(783年)には、伝教大師により天台密教が伝えられ、貞観年間(859年~877年)には勅願所となり清和天皇より「一乗法華院」の勅額が下賜されるなど、天台宗別院として関東の 天台宗寺院の中心として確固たる地位を築きました。
鎌倉期には全盛期を迎え、慈光寺坂途中に今も残る青石塔婆群付近から立ち並ぶ僧坊は七十五坊を数えましたが、戦国期に太田道灌の焼き討ちに遭って以降、次第に衰え明治期には宝樹坊・井上坊を残すだけとなりました。それでも天正十九年(1591年)には徳川家康より寺領百石の朱印状を得、寛永四年(1627年)には東叡山寛永寺の末寺に組み入れられることで徳川家の厚い保護を受けるなど、女人禁制の観音霊場として長く信仰を集め現在に至ります。寺は、比企氏の棟梁である源頼朝に深く尊信された寺でした。
頼朝は、文治5年(1189年)奥州征伐の勝利を慈光寺に祈願し、日頃信心している愛染明王像を贈り、別当厳耀並びに衆徒らに勝利を祈祷させるよう命じています。
吾妻鏡によると、頼朝が治承 3 年(1179年)3月2日、安達盛長を御使として、御署名入りの洪鐘を鋳造して伊豆国より寄進されたと記されています


関東最古の山岳寺院。
天武天皇2年(673)僧慈訓が慈光老翁の命により千手観音堂を建て、観音霊場として開基した。その後西蔵坊を設けて修験道場となり、奈良時代には釈道忠によって、慈光寺創建となる。平安時代には最澄が比叡山に天台宗を開宗した際、2000余巻の経典が奉納されるなどし、桓武天皇の時代は女人禁制の道場として、また千手観音霊場として大変栄えた。鎌倉時代には源頼朝が文治3年(1189)に奥州藤原追討の戦勝祈願にに愛染明王像を寄進したたりと、長きに渡りの繁栄がありましたが、戦国時代になり太田道灌らの焼き討ちにあい、栄華を誇った寺院も衰退の道をたどります。
すごい歴史だと思います。勉強しないと、こちらのお寺の価値はわからない、、わからないまま、お参りしてしまったようです。
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