しらひげじんじゃ
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入間神社誌によると、永禄11年(1569)3月23日大袋字広町より今の地へ遷したといいます。また、古老の伝えによると、多摩郡新井村の九右衛門が当村にて創祀したとの話もあるそうです。
明治5年に村社になり、大正4年に無社格の他村の神社を合祀したが無理があったため、戦後、各旧地に戻されました。
社務所を古くは寮と称し薬師様と庚申様を祀っていて、風土記稿に記された薬師堂はこのことと思われ、改築の際に小祠を造り遷座したといいます。
本殿が有形文化財になっていて、覆屋の後側が金網になっていて拝見することができました。とても立派で見応えがありました!渋谷の神社以外で初めて百度石を見つけました。
手水舎と百度石
丸っとしていてかわいい狛犬さんです。
本殿を網越しに見ることができます。
境内社
稲荷社(豊受姫命)
笠間稲荷神社の御札があります。
境内社
八坂神社(須佐之男命)
名称 | 白髭神社 |
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読み方 | しらひげじんじゃ |
通称 | 明神様 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》猿田彦命、清寧天皇 |
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文化財 | 大袋白髭神社本殿(市指定有形文化財) |
ご由緒 | 猿田彦命・清寧天皇を祭神とする当社は、永禄11年3月23日字広町(通称ガッサラ塚)から現在地へ移転したと伝え、『風土記稿』は「永禄年中勧請の由、増形村本明寺の持なり」と記している。また、一説に多磨郡新井村の九右衛門なる者が創建したともいう。広町の跡地は雑木林で、古くは八幡社があったと伝えているが、今は何もなく、ただ、立ち入ると罰が当たるといわれている。 明治5年に旧来の鎮守により村社となり、大正4年には大字山城字欠下の八坂神社・白髭神社、字株梗木の神明社、大袋新田字愛宕側の愛宕神社、同境内社白山社を無格社であったことにより合祀した。しかし、無格社とはいえ信仰ある他村の神社を合祀するのは無理があったため、これらの神社は戦後再び戻された。合祀は、一説に、山城の八坂社と、大袋新田の愛宕社と高橋の山王様であったともいわれ、そのため、祭りに七歳の子が初めて獅子を舞う時には、この三社を巡ったという。 |
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