みずじんじゃ
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明治43年8月、2つの台風と低気圧の停滞に伴う集中豪雨により、利根川、荒川水系の本支流は各地で堤防が決壊越水し、下流域は2週間に渡って冠水しました。
入間川もこのとき堤防が決壊しそうになりましたが、入間川3丁目(現在のイオンのあたり)にあった、「久星酒造」が多量に持っていた米俵を提供しこれを堤防上に積み上げたことから、かろうじて被害を免れたといいます。水神の加護に感謝し、今後の加護をも祈って翌年の明治44年に建立されたといいます。
宮司様から聞いたお話では、この「久星酒造」は「秩父錦」から暖簾分けされた酒造で、現在はなくなってしまったそうです。大國神社の本殿に久星酒造の徳利があり見せていただきました!撮影許可もいただきました🙏
大國神社の投稿でも書きましたが、大國神社と秩父とのつながり、米俵(大黒様の象徴)を土嚢代わりにし町を守ったこと、久星酒造の"久星"が九星気学の"九星"と同じ音になるなどから、偶然かもしれませんがご神威を感じてしまいます。



お社はなく石碑のみです。

撮影許可をいただきました🙏
今はなき「久星酒造株式会社」の徳利。一緒に秩父錦も奉納されていました🍶

後ろには入間川町と書かれていました。
狭山市博物館の方が久星酒造について調べているとのお話も聞きました。
写真





| 名称 | 水神社 |
|---|---|
| 読み方 | みずじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 水神 |
|---|---|
| 創建時代 | 明治44年 |
| ご由緒 | 明治44年(1911)の建立である。建立前の8月県内各地は河川の氾濫による大洪水で大被害を受けた。入間川もこのとき堤防が決壊しそうになったが、入間川3丁目にあった久星酒造が多量に持っていた米俵を提供し、これに土を入れ堤防上に積み上げたため、かろうじて被害から免れることができた。水神の加護に感謝し、今後の加護をも祈って建立されたものである |
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