てんしんじ|曹洞宗|大龍山
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狭山市沢にある曹洞宗の寺院です。
天岑寺は徳川家康公の関東入国に伴い、田中・峯・沢地区を知行した旗本の小笠原太郎左衛門安勝が、父の小笠原摂津守安元の菩提を弔うために文禄3年(1594年)に開基し、道元禅師から17世の天海盛呑が開山したといわれます。寺号は安元の法名、天岑院殿紹恩居士から天岑寺と命名されたと伝えられています。
一説には、三ツ木村(現東三ツ木)の三ツ木和泉守国重の子孫「四郎左衛門」が寺を草創したとも伝えられています。本尊以外の仏像の中に、室町時代作の銅造十一面観音菩薩立像があり、天岑寺が創立される以前に観音堂があったという伝承を裏付けるものとなっています。
かつては、朱塗りの華麗な七堂伽藍がありましたが、明治3年の火災で惣門を残し全焼してしまったので、本堂、庫裏、鐘楼等はこれ以後の再建です。
沖縄風のたたずまいを見せる惣門は、市指定建造物、12代にわたる小笠原家の墓所は市指定史跡、文明14年(1482年)の月待供養の碑は市指定有形民俗文化財に指定されています。

惣門




本堂


小笠原家の家紋『三階菱』



鐘楼堂


本堂の横から墓地へ続く道


『旗本小笠原家墓所』
徳川家康公の関東入国に伴い、三河国幡豆郡から武蔵国入間郡にやってきた戦国武将小笠原安勝が初代の一族。当墓所には12代にわたる当主とその婦人を始めとする家族の墓石があります。

幕末の当主は将軍を警護して静岡県牧之原へ行き、その地で開墾開拓に従事したため、それ以降の当主の墓は牧之原ほかにあります。小笠原家は昭和12年に廃家となるまで347年続きました。


反対側は歴代住職のお墓です。



『月待供養の碑』
武蔵型板碑の一種。埼玉県は板碑の基数、大きさ、古さともに日本一の板碑大国です。その理由は板碑に最適な「緑泥片岩」の有数の産地だから。板碑のことを「青石塔婆」と呼ぶのも緑泥片岩が緑色だからです。主な分布地は長瀞町、小川町になります。




金毘羅権現宮

合祀神に熊野三社大神、澤稲荷大明神




大乗妙典千部供養塔


『結界石』
正面に「不許葷酒入山門」左側に「施主入間川邑 綿貫半平」と刻んであります。綿貫半平は入間川村の豪商綿貫家の当主で、明和2年(1765)の明和伝馬騒動で農民暴徒に襲われ、大変な被害を受けました。その時に貴重品類を天岑寺に預けていて、そのお礼として寄進したものと伝えられています。

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