ほりかねじんじゃ
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楽しみ方堀兼神社(浅間宮)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月10日(土) 18時41分11秒
参拝:2025年12月吉日
狭山市堀兼に鎮座する神社です。当地は武蔵野台地の北端に位置し、古代より水の乏しい不毛の台地でした。堀兼とは「井戸も掘り兼ねる地」という意味ともいわれます。
社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、当地において水がなく苦しむ住民を見て、水を得ようと富士山を遥拝し井戸を掘らせてこれを助け、傍らに浅間宮を祀ったのが始まりと伝わっています。
境内には埼玉県指定旧跡「堀兼之井」があり、『武蔵野の 堀兼の井もあるものを うれしく水の 近づきにけり(藤原俊成)』など、平安時代の数々の歌人に歌を詠まれるくらい有名な井戸です。
しかし、武蔵野には数多くの堀兼之井と称されるものがあったと推定され、境内にある井戸が古くから言われている「堀兼之井」かどうかは実際のところわからないそうです。ただ江戸時代から史跡として知られていた場所であったことは間違いがないといわれています。
御祭神は木花咲耶姫命様。かつては浅間社と称され、明治40年に近在の社を合祀し堀兼神社と改めたといいます。
富士山といえば一般的には火山や火の信仰のイメージが強いと思いますが、社伝では富士山を遥拝して「水」を得たとあり、富士山を水神として祀っていたことが垣間見えます。
社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、当地において水がなく苦しむ住民を見て、水を得ようと富士山を遥拝し井戸を掘らせてこれを助け、傍らに浅間宮を祀ったのが始まりと伝わっています。
境内には埼玉県指定旧跡「堀兼之井」があり、『武蔵野の 堀兼の井もあるものを うれしく水の 近づきにけり(藤原俊成)』など、平安時代の数々の歌人に歌を詠まれるくらい有名な井戸です。
しかし、武蔵野には数多くの堀兼之井と称されるものがあったと推定され、境内にある井戸が古くから言われている「堀兼之井」かどうかは実際のところわからないそうです。ただ江戸時代から史跡として知られていた場所であったことは間違いがないといわれています。
御祭神は木花咲耶姫命様。かつては浅間社と称され、明治40年に近在の社を合祀し堀兼神社と改めたといいます。
富士山といえば一般的には火山や火の信仰のイメージが強いと思いますが、社伝では富士山を遥拝して「水」を得たとあり、富士山を水神として祀っていたことが垣間見えます。





『随身門及び二神像』
市指定有形文化財で市内唯一の門です。江戸時代後期には創建されていたと推定されます。
市指定有形文化財で市内唯一の門です。江戸時代後期には創建されていたと推定されます。

矢大臣

左大臣







本殿

年末年始に向けてのお掃除中(?)だったようで扉が開いていて中を拝見できました。



絵馬掛けに1つだけ瓢箪がありました。


『小御嶽神社』



手前に下浅間神社の石碑。社殿は日枝神社。


となりにも小さな祠が。

『八坂神社』

『井上稲荷神社(右)』
左のお社は確か牛頭天王だったような…😵
左のお社は確か牛頭天王だったような…😵

『神楽殿』



『金毘羅神社・天満宮』

こちらも『天満宮』


埼玉県指定旧跡『堀兼之井』

現在は大部分が埋まっています。

藤原俊成の他に、源俊頼、西行法師、慈円が堀兼之井の歌を詠んでいます。

古いご由緒書き。字が薄く読めません。


井戸がありました。

ご神木のケヤキ

こちらのご神木は大きなウロがあります。

神楽殿の裏にある石塔類。庚申塔、馬頭観音、供養塔など。逆光でうまく撮影できず😭
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく874投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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