おおぞねはちまんじんじゃ
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埼玉県八潮市・大曽根八幡神社に参拝。拝殿・本殿には見事な彫刻があるので是非見て行って下さいと御朱印をいただく際教えていただいた。御朱印は書置きのものをいただきました。
大曽根八幡神社〜拝殿
大曽根八幡神社〜三の鳥居
大曽根八幡神社〜二の鳥居から三の鳥居、拝殿を臨む
大曽根八幡神社〜御朱印
大曽根八幡神社〜見事な彫刻①
大曽根八幡神社〜見事な彫刻②
大曽根八幡神社〜見事な彫刻③
大曽根八幡神社〜見事な彫刻④
大曽根八幡神社〜見事な彫刻⑤
綾瀬駅からバスで向かいました。バスの中で暑くて汗をぬぐった時、帽子を置き忘れたみたい。参拝後に気づきました。参やねは拝中は本殿の彫り物が素晴らしくて見とれていました。拝殿の屋根は今は銅葺きですが以前は瓦だったそうです。緑青色の銅屋根の方が個人的には好きです。御朱印を戴く際に宮司様と色々とお話をさせていただき感謝いたします。汗をかいた肌に、季節外れの蚊に刺されたことは我慢。
天保十五年(1844)森川俊朝が奉納した奉納の一の鳥居とあるが、安政の大地震により倒壊、二、三の鳥居と同時に再建されたはず
参道
安政二年(1855)、安政の大地震で倒壊後の安政五年(1858)再建の二の鳥居
以前は宝暦十一年(1761)に浅田政臣が奉納した二の鳥居があった
三の鳥居
以前は文化六年(1809)に総氏子らが奉納した三之鳥居があったが、安政の大事地震により倒壊、安政五年(1858)再建
手水舎
由緒書
灯籠
境内社 鳥居
境内社 天神社・古峯社
灯籠
寛政年間奉納の狛犬
寛政までは読めるのですが…
天水桶
明治28年(1895)造営の拝殿
向拝には龍と玉巵
八幡太郎義家父子等の武将の活躍
拝殿脇障子
本殿
昇龍と降龍
境内社鳥居
境内社 稲荷社
歴史
抑、当社は、文亀二年(1502)に勧請されたが、一説には後三年役に源義光が兄源義家援軍のため、寛治元年(1087)に花俣郷から綾瀬川を渡河し大曽根の地を経て東国に赴いた頃より、八幡神を奉斎されたとも伝える。
誉田別命を御祭神とし境内社に稲荷神社・天神社・古峯神社を祭祀する。寛文十年(1670)十一月十五日に大曽根村の領主旗本森川摂津守重房公より三石の黒印状が発給され、森川家の氏神社となる。延宝二年(1674)に重房公は、荒廃した御社殿を再興し、以来森川領六千石の総鎮守とされ元禄十五年(1702)新たに二石が加増され、都合五反歩の社領を有した。森川家の毎年の正五九の御神札は八幡神社から届けられ、祭礼の祈りには森川家から代参者が遣わされ祭典が執り行われた。
御社前の第二の鳥居は、宝暦十一年(1761)に浅田政臣が奉納、天保十五年(1844)に森川俊朝が第一の鳥居を奉納、文化六年(1809)に総氏子らが第三の鳥居を奉納した。これらの鳥居は、安政二年(1855)の地震の時に倒壊し、安政五年に再建された。
明治四年(1871)に大曽根村の村社に指定され、同二十二年(1889)に八幡村の村社となり、同二十八年(1895)に本殿・拝殿を改築し現在に至る。
大曽根八幡神社の基本情報
住所 | 埼玉県八潮市大曽根21-1 |
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行き方 | つくばエキスプレス「八潮」駅北口から徒歩20分
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名称 | 大曽根八幡神社 |
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読み方 | おおぞねはちまんじんじゃ |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 048-998-5899 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》誉田別尊 |
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創建時代 | 文亀二年(1502) |
ご由緒 | 抑、当社は、文亀二年(1502)に勧請されたが、一説には後三年役に源義光が兄源義家援軍のため、寛治元年(1087)に花俣郷から綾瀬川を渡河し大曽根の地を経て東国に赴いた頃より、八幡神を奉斎されたとも伝える。
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体験 | 御朱印 |
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