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けながじんじゃ

毛長神社の御由緒・歴史
埼玉県 谷塚駅

ご祭神《主》毛長姫命,《配》大己貴命,倉稲魂命,別雷槌神
ご神体女性の長い髪の毛
ご由緒

(草加市教育委員会「毛長神社」掲示板より)

 新里町は新里村と称し、往古は谷古田領に属す。天正十八年(西暦一五九〇年)徳川家康入府の後、天領となる。元禄十五年(西暦一七〇二年)東叡山、寛永寺となり、明治四年(西暦一八七一年)埼玉県管轄となる。
 毛長神社の創建は詳びらかでないが、「地誌材料稿」新里編に、「奉修造毛長大明神宮一宇氏子繁昌諸人快楽攸、享保十乙巳九月廿一日別当御幣山泉蔵院法印融儀」という棟札の写しが記録されている。享保時における修造と泉蔵院との別当関係が理解できる。
 御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によって、これを知ることができる。髪は素戔嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。本県では、おそらくこの毛長神社一社だけではなかろうか。その意味でこの神社の存在とその伝説の継承されていることは、貴重なものといえる。
 鳥居は白小目御影石造りのもので、社殿に比してやや上等である。この鳥居はもとは水戸家の屋敷内の神社にあったが、出入の商人尾張屋兵助なる者が、譲り受け、更に当社の氏子代表が特に懇請して買い受けたものである。その輸送は舟によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、新里村に入り、境内地に建立されたという(長堀家文書)。

歴史
歴史[編集] 創建年代は不明である。当社の起源については二通りの説がある[1]。 『新編武蔵風土記稿』によれば、毛長沼の向こう側にある東京都足立区の舎人諏訪神社と対になっており、諏訪神社が「男神」で当社が「女神」とされていた。神体は髪の毛であったが、いつの頃からか「髪の毛のような不浄なものを神体にするのはけしからん」ということで、毛長沼に捨てられたという[2]。一方、社伝によれば、昔「万石長者」と称する長者がいたが、ある日竜巻によって長者の家屋敷や家族もろとも巻き上げてしまった。その後、毛長川に数尺の髪の毛が漂っていた。長者には娘がいたことから、その娘の髪の毛ということで、長者の屋敷神だ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報毛長神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AF%9B%E9%95%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=92954121

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