御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※毛長神社ではいただけません
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
-

歴史

(草加市教育委員会「毛長神社」掲示板より)

 新里町は新里村と称し、往古は谷古田領に属す。天正十八年(西暦一五九〇年)徳川家康入府の後、天領となる。元禄十五年(西暦一七〇二年)東叡山、寛永寺となり、明治四年(西暦一八七一年)埼玉県管轄となる。
 毛長神社の創建は詳びらかでないが、「地誌材料稿」新里編に、「奉修造毛長大明神宮一宇氏子繁昌諸人快楽攸、享保十乙巳九月廿一日別当御幣山泉蔵院法印融儀」という棟札の写しが記録されている。享保時における修造と泉蔵院との別当関係が理解できる。
 御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によって、これを知ることができる。髪は素戔嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。本県では、おそらくこの毛長神社一社だけではなかろうか。その意味でこの神社の存在とその伝説の継承されていることは、貴重なものといえる。
 鳥居は白小目御影石造りのもので、社殿に比してやや上等である。この鳥居はもとは水戸家の屋敷内の神社にあったが、出入の商人尾張屋兵助なる者が、譲り受け、更に当社の氏子代表が特に懇請して買い受けたものである。その輸送は舟によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、新里村に入り、境内地に建立されたという(長堀家文書)。

歴史をもっと見る|
1

毛長神社の基本情報

住所埼玉県草加市新里342
行き方

見沼代親水公園駅[西口]から徒歩約19分

アクセスを詳しく見る
名称毛長神社
トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神《主》毛長姫命,《配》大己貴命,倉稲魂命,別雷槌神
ご由緒

(草加市教育委員会「毛長神社」掲示板より)

 新里町は新里村と称し、往古は谷古田領に属す。天正十八年(西暦一五九〇年)徳川家康入府の後、天領となる。元禄十五年(西暦一七〇二年)東叡山、寛永寺となり、明治四年(西暦一八七一年)埼玉県管轄となる。
 毛長神社の創建は詳びらかでないが、「地誌材料稿」新里編に、「奉修造毛長大明神宮一宇氏子繁昌諸人快楽攸、享保十乙巳九月廿一日別当御幣山泉蔵院法印融儀」という棟札の写しが記録されている。享保時における修造と泉蔵院との別当関係が理解できる。
 御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によって、これを知ることができる。髪は素戔嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。本県では、おそらくこの毛長神社一社だけではなかろうか。その意味でこの神社の存在とその伝説の継承されていることは、貴重なものといえる。
 鳥居は白小目御影石造りのもので、社殿に比してやや上等である。この鳥居はもとは水戸家の屋敷内の神社にあったが、出入の商人尾張屋兵助なる者が、譲り受け、更に当社の氏子代表が特に懇請して買い受けたものである。その輸送は舟によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、新里村に入り、境内地に建立されたという(長堀家文書)。

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy and Terms of Service apply.

行きたい
投稿する
お問い合わせ
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印小バナー2022年10月