もとぶひかわじんじゃ
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赤い大きな鳥居をくぐって境内に駐車できます。
拝殿前の木の鳥居に、赤い大きな鳥居、この木の鳥居、ちょっと離れた石の鳥居の順にくぐってお参りしましょうと案内がありました。ちょっと歩きますし、位置的に木の鳥居については1回引き返して2回くぐることになるようです。
境内には珍しい上を向いてらっしゃる大黒様と恵比須様がいらっしゃり、御朱印にもスタンプが押してありました。御朱印は書き手の方が御高齢で、いらっしゃらないことも多いようですので、電話で問い合わせてからお詣りされるとよいと思います。今回3回目のお詣りでやっといただけました。
(御朱印第1240号)
直書き
ここから車で入れます
2番目にくぐるとある木の鳥居。くぐると正面に拝殿があるのですが、1度引き返して真後ろにある石の鳥居をくぐるように右にある立て札で案内があります。
3番目にくぐる鳥居ですが、正面に木の鳥居、その先に拝殿があります
拝殿
歴史
(「氷川神社 御由緒」の立て札より)
□御縁起(歴史)
当地の地形は、おおむね平坦であるが、東西に狭く、南北に長い小さな谷をなしている。地名の由来は、当社の鳥居扁額に「元府址」と書かれていることから、国府の出先機関があったからという説、「ふと」は低地や耕作・居住に適する地いう意味があるためという説がある。当社は本太の古くからの集落のほぼ中央に鎮座し、その境内には武蔵野では珍しい落葉樹「ソロ」の木が茂っている。
勧請の年代は明らかでないが、当社には、慶安三年(一六五〇)に建立された県指定文化財の旧本殿と、同じく県指定文化財の宮殿の二基が安置されている。この宮殿は文安五年(一四四八)銘の案に載せられ、その前に木鉾が立てかけられている。その銘文によると、宝徳三年(一四五一)九月二十四日、当地の地頭高埇左衛門盛影が氷川大明神の大檀那として、神輿と鳥居を造立寄進したものである。また、取持奉行は、めうおん寺の二位僧都賢永、大工はにいくらの二郎三郎、かぬみつ、同左衛門二郎の名が見える。
大檀那の高埇左衛門盛影とは、高埇郷を本領する武士とされる高鼻和太郎の後裔と考えられる。同郷は現さいたま市浦和区から大官区にかけての地域に比定される。『吾妻鏡』文治五年(一一八九)七月十九日の条に、奥州平泉の藤原氏攻めに向かう源頼朝の軍勢の中にこの高鼻和太郎の名が見える。
名称 | 本太氷川神社 |
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読み方 | もとぶひかわじんじゃ |
通称 | 氷川神社 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 048-885-7412 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/9109/ |
詳細情報
ご祭神 | 《合》宇加之魂神,大日貴尊,菅原道真,《主》建速須佐之男命 |
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ご由緒 | (「氷川神社 御由緒」の立て札より) □御縁起(歴史)
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体験 | 御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市浦和区本太にある神社。旧社格は村社。 別称として本太氷川神社、元府趾氷川神社とも呼ばれる。鳥居扁額には元府趾(もとふと)と表記されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 約1500年前から鎮座していると伝えられているが、創建年は不詳である。元府趾に建造されたことから、律令制の政庁があった時期(奈良時代)以降と推測される。 本太は高鼻郷の本拠地であったが、現在高鼻の地名は大宮区の氷川神社周辺に高鼻町が残るのみとなっている。 |
引用元情報 | 「氷川神社 (さいたま市浦和区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82%E6%B5%A6%E5%92%8C%E5%8C%BA%29&oldid=92333508 |
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